第二音楽室は、あまり日が当たらない。
じっとしていると窓から入ってくる風が髪や頬を撫で、心地よく、とても過ごしやすい場所だなと思った。
ただし、冬は寒そうな気もした。
さっきから綺麗な音色が響いている。
それはどこかで聴いたことのあるクラシックだったり、全然知らないけどカッコイイ曲調のジャズだったりするのだけれど。
それを弾いているのは、なんと、あのクセくんなのだ。
普段はチャラチャラしてるのに。
……弾いているときは、鍵盤を自由に操る魔術師みたい。
「上手だね、ピアノ」
「3歳から習ってたからねえ」
「3歳!?」
「ボクにとったら会話するみたいなものかな」
「そっか」
「あー、でも。頭使わない分、会話よりラク」
クセくんは軽いノリで人と話しているように見えるけれど、ほんとは、そうじゃないのだろうか。
さっきからユキくんは、床に座り込んでギターをイジっている。
そんな姿もカッコイイ……。
ユキくんを見ていると、それだけで、不思議と鼓動がはやまる。
しかしエレキギターというのは、ジャラジャラと大きな音が鳴るイメージが強かったのだけれど。
(音、小さいな……?)
ピアノの音で消されてしまうくらいのボリュームだ。
クセくんの演奏が途切れたとき、ユキくんもギターを弾く手を止め、口を開いた。
視線はクセくんに向けられている。
「それで。なんですずがここにいるわけ」
それはわたしも思った。
「えー? なにか都合わるい?」
「いつもオマエ言ってるだろ。ここにだけは女は呼ばないって」
「まあ。それは、そうなんだけどさ」
もしかして、わたしがここにいるの、ユキくんは迷惑って思ってるのかな。
「か、帰るね……!」
カバンを持ち、入り口に向かう。
「ごめね、ユキくん。関係者じゃないのに……来て」
「いや。すずが謝ることでは――」
「ピアノとかギター弾いてるとこ見れて楽しかった。またね!」
嘘をつくのは、苦手だ。
けれど、笑いたくないときに笑うのには、慣れている。
【誕生日なのに、ごめんな】
お父さんが忙しくて、ひとりで誕生日の夜を過ごすとき。
【いつも寂しい思いさせてるな】
わたしをなにかと気づかうお父さんに
『大丈夫だよ』
『気にしないで』
そう言って笑うことが多いから。
だから、大丈夫。
ちゃんと笑って音楽室から出てこれたはず。
(……もっと一緒にいたかったな)
そんなワガママな気持ちと、ユキくんに迷惑かけるようなことをしてしまったなと落ち込む気持ちが入り交じる。
はあ。どうして、こんなに気持ちが沈むんだろう……。
「あれ」
「!」
旧校舎の入り口から外に出ようとしたとき。
「稲本さん。どうして、ここに」
バッタリ遭遇したのは、上野くんと。
それから、
「さては。アイツに呼ばれたな?」
まさかまさかの谷繁先生だったんだ。
「なるほど。久世に強引に呼び出されたものの、関係者でない自分が長居するのもなんなので、帰ろうとしたと」
冷静に分析する上野くんと。
「そんなこと。気にしなくていーぞ」
あっさり入室を許可してくれる、先生。
そんなこんなで、結局、二人と音楽室まで戻ってきてしまった。
「あんまり振り回すようなことしてやんなよ?」
「人聞きの悪いこといわないでよー、タニセン。振り回すなんて、オーバーだなぁ」
いやいや、クセくん。
あなたに汗だく&息切れにされた上にユキくんとの間接キスを阻止されたことは忘れません……!
って、間接キスは、妨害されてわたしが怒るようなことでもないけれど。
「ここに連れてきたのは理由があるんだろ?」
「さすが、イインチョ」
上野くんの問いかけに、クセくんが頬を緩めた。
「ボクたちの新曲が最後に出たの。いつだった?」
「2ヶ月前だな」
“ボクたち”という言葉。
それに即答する上野くんを見て、上野くんもこのバンドの関係者だということを察した。
でも、教室で騒がれていたのは、ユキくんとクセくんの二人だった。
仮に上野くんがメンバーなら、上野くんに校舎を案内されていたことも羨ましがられただろうが、そんな空気はなかったし……。
どういうことだろうと考えていると、谷繁先生がわたし達から離れ、教室後方でタバコを吸い始めた。
目が合うと、
「ああ、これ? エネルギーチャージ」
ニカッと笑われた。
「まあまあ。俺のことは気にせずに。続けたまえ諸君」
チャージするどころか身体の害になっているのでは、というツッコミは入れないでおこう。
今は授業中でもないから。
それに、離れて窓際に行ったのも、こちらを気づかってのことだろうし。
もしかしたら、この場所を自由に使えるのは谷繁先生の許可をとっているからなのかもしれない。
「実は」
神妙な顔つきになる、クセくん。
空気が静まり返る。
「ボク、スランプなんだよねー」
「知っているが」
「あれ?……バレてる」
「いつものことだろ」
「そんなことないよー?」
「お前に、計画性なんて期待していない。突発的に始め、取り掛かればあっという間に完成させる短期集中型だろ」
「あー。カッコよく言ってくれるねえ?」
教室でこそ仲が良くないように見えた2人だけれど、なんだろう。
2人の間には信頼がみえるというか。
お互いを理解しているような、そんな雰囲気が見えた。
(仲間って、いいな)
スランプというのは、会話の流れから、曲作りということで……合ってる?
「え、クセくん。作詞作曲できるの!?」
「まあね」
「すごい……!」
「ほんと? ありがとー」
このバンドの曲が今すぐに聴いてみたくなった。
ギターパートを担当してるのがユキさんってことだよね?
ソロなんてあろうものなら、めちゃくちゃ聴き入ってしまいそうだ……。
「そこでなんだけど。単刀直入にいうと。ボク、すずちゃんに力を借りたいんだ」
――?
「わたし?」
「うん」
「えっ……なんの力!?」
「うーん。うまく言えないんだけど、すずちゃんて、なーんか他の子とは違うんだよね。君が傍にいれば浮かびそうな気がする」
浮かびそう?……新曲が!?
「稲本さんが他の子とは違うのは。僕も、幾らか感じている」
顎に手を当てた上野くんが、真面目な表情でつぶやく。
え、なんで? 田舎者だから!?
「でしょでしょー?」
「なるほど。それで連れてきたのか」
「うん。口硬そうだし。ついでに言うと、ユキのお気に入りでもあるみたいだし?」
(!?)
「無茶なお願いにも素直に応えてくれるような、いい子だし」
ひょっとしてわたし、試されていたの?
5分以内に来いってアレは、わたしが、どんな反応するか楽しんでいただけじゃなく。
このバンドに関わらせるか……
はかっていたの?
「ここに呼んでダメな理由ないよね。反対のひと、いるー?」
おそるおそる教室を見渡す。
反論する人は、誰も、いないようだ。
「いーんじゃねえの」と言ったのは。
ユキくんだった。
「ここにいろよ、すず」
ユキくんのあたたかい言葉に、涙が出そうになる。
(わたし、ここにいて、いいんだ)
立ち上がり、歩み寄ってきたユキくんの口元が、わたしの耳に近づいてきて――。
「もう、いきなり飛び出して行くなよ?」
「……っ」
「あと。無理に笑うの、禁止」
気付かれるはずないと思っていた仮面に、いとも簡単に、気づかれてしまいました。
「それから。これは忠告」
「……?」
耳元で聞こえてくる囁き声に
心臓が、大きく波打っている。
「クセには近づきすぎんな」
「なんで?」
「俺がムカつくから」
「へっ」
2人だけのナイショ話に。
ユキくんからの思いがけない言葉に。
「ユキくん、それ、どういう……」
「そうやって顔すぐに赤くすんの。俺だけにしろよ」
……溶けてしまいそうなのですが。
「ちょっとー、ふたり近すぎるよ」
間に入ってくるクセくん。
「すずちゃんには、ボクのサポートしてもらうんだから」
「そうだったな」
ムッとするクセくんと、鼻で笑うユキくん。
「……そ、それで! メンバーって結局誰なの?」
わたしの問いかけに、みんなが、顔を見合わせる。
「え、まだわからないの?」とクセくん。
「ユキくんがギターだよね? でも、他は……なんとも」
楽器持ってるの、ユキくん一人だけだし。
「じゃあ、答え合わせをしよう」
クセくんが、携帯を取り出す。
開かれたのは動画サイト。
わたしも普段使っているやつだ。
「さーて。誰がでてくるでしょうか」
クセくんから渡され、画面を、覗く。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!