――カチャリ
扉が、そっと、閉められる。
中を見て、その広さに驚いた。
さっき上野くんと入った部屋が2人用なら、ここは10人はラクラク入れそうだなと思う。
団体で利用するお客さんのために設けられているに違いない。
電気をつけていないから薄暗く、入り口から差し込んでくる光を頼りにソファにかけると――。
「すず」
ユキくんが、わたしのすぐ隣に座った。
肩がぶつかるくらい、近い。
こんなにも空間は広いのに……。
「追ってきたのか」
「……ごめんなさい」
「一人で?」
「ううん、上野くんと来て、手分けしてユキくんを探してたの。さっき連絡入れたからもうすぐ来る……あ、でも。教えたのは2つ隣の部屋の番号だ!」
入らずに待てと言われていたのだ。
わたしの姿が見あたらないと、心配されてしまうだろう。
「連絡しなきゃ」
急いで上野くんに今いる部屋の番号と、ユキくんと一緒だというメッセージを送信した。
「ナナたち……。いるの?」
「そこにいる」
そこ、というのは。
207号室のことだろう。
「クセくんと?」
「久世と、イオリと」
「そっか」
騒ぎになっていない様子に、胸をなでおろす。
ナナたちとは、話し合いをして、円滑にまとまったってことだろうか。
「俺。町田と神崎を、脅した」
――!?
(おど……した?)
えっと……。今の……。聞き間違えたのかな。
それとも――。
「すずへの嫌がらせを即刻止めさせて。すずに二度と何かしてやろうと思えないくらいには怖がらせてやるつもりだった。だから、アイツらの部屋に乗り込んで。表出ろって。強引に連れ出そうとしたところに、久世が止めに入ってきた」
そんなことを平然と言ってしまうユキくんは、まるで、悪魔のようで。
「あのな、すず。俺は、オマエが受けた以上のダメージ与えるくらいの報いを、アイツらは受けて当然だと思ってる」
いくら、わたしが傷ついたからって。
わたしを守るためだからって。
怖いよ、ユキくん。
「そんな、鬼みたいなこと、言わないで」
「……鬼にもなる」
ユキくんの腕が伸びてきて、ぎゅっと、抱きしめられる。
痛いくらいに。
その力強さが、わたしを、無性にドキドキさせる。
「愛する女に手を出されて。それで微笑んでいられるほど俺はできた人間でもねえし。そんな人間に、なりたくもない」
(愛する女)
その言葉にドキリとしていたら、ユキくんの鼓動が、わたしに伝わってきた。
「あ……あのね。わたし、汗かいたから。あんまり長く、くっつくと。ちょっと……」
「怖かったろ」
耳元から聞こえてくる、大好きな声。
「……ユキ、くん?」
閉じ込められていたことを言っているのだろう。
今、改めて冷静に考えても、わたしはやはり危ない状況に置かれていた。
イタズラで済む話ではない。
「町田を追ったのは、一番は、オマエと連絡がつかず嫌な予感がしたからだ。どんなことしても口を割らせようと思った。それで居場所と。それから鞄と靴の隠し場所を吐かせ上野に伝えたが、そのときには上野がオマエを探し出したあとだと聞いてホッとした」
そういえば、あのとき上野くんが携帯を何度か操作していた。
それがこのやり取りのためだったのかと気づく。
鞄や靴の在り処をユキくんからの連絡で確認した上野くんが、イオリくんに伝え靴箱まで持ってきてもらったのだろう。
わたしの携帯の電源はオフにされていて、オンにした途端に、メンバーたちからの複数の着信やメッセージが入っていた。
『早退ってどうしたの?』
『どこにいる』
『なにかあったのか』
『とりあえず連絡くれ』
それらに返信できなかったのもまた、わたしになにかあったということの裏付けになったのだ。
みんなが一丸となり、わたしを助けてくれたんだ……。
「悪かった」
そう言ったユキくんの声が、震えているのがわかった。
「そんなっ……ユキくんが謝ることじゃない」
「俺のせいだ。俺が、みんなの前でオマエを自分の女と紹介しなければ」
謝らないで。
ユキくんは、なんにも間違ったことをしていない。
むしろ、逆だよ。
隠さず、彼女だって紹介されたの、嬉しかったんだよ?
「なあ、すず」
「……?」
「俺と関わらなければ、オマエは穏やかに暮らせたのにな」
――ユキくんと関わらなければ?
「こんなに。傷つくこともなかった――」
「そんなことない……!」
ユキくんの言葉を否定したくて、つい、大きな声を出してしまった。
まだ、出逢ってそんなに時間がたったわけじゃないし。
なにもかも、始まったばかりだけど。
「わたしはユキくんと出逢えて、よかったと思う。ユキくんといると幸せだよ」
後悔なんて、なにひとつしていない。
「これからもユキくんの傍にいさせて」
「……すず」
「すき、だから」
わたしの言葉に、ユキくんが口元を緩めたとき。
――ガチャ
静かに、扉が開いた。
「僕はお邪魔なようだね」
「上野くん……!」
慌ててユキくんの腕の中から離れる。
「由木が平常心なら。ここからは、稲本さんのことは由木に任せよう」
そういって、眼鏡のフレームを指でクイッとあげた。
「すずのこと、早急に助け出してくれて感謝する」
「仲間として当然のことをしたまでだ」
「……207号室には顔を出すのか?」
「いいや。出さなくても大丈夫らしい、とわかったから。近寄らないことにする」
上野くんが、閉めた扉のドアノブにふたたび手をかける。
「帰るの……?」
わたしの問いかけに、
「幸いまだ僕の正体はバレていない。だったらバラすこともない」
背を向けたまま答える上野くん。
そうだよね。上野くんは、静かな学生生活を過ごしたいんだもんね。
「勘違いしないで、稲本さん」
(……?)
「由木や久世が正面から君を守るなら、僕は影から守るのがベストだと判断したから今日のところは帰るんだ。さっきも言ったけど。今更僕が剣だとバレたところで、痛くも痒くもない。君の安全を一番に考えて動くまでだ」
「上野……くん」
「それじゃ。僕は最初の部屋に戻り、適当に時間を潰してから店を出る」
上野くんは、振り返らずに部屋から退出した。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!