翌朝も、私は藍たちを起こし、リビングに降りて五人で朝食を取った。
今日の授業は二限からだという優さんに見送られて、高校生の私たちは家を出る。
通学路を進むうち、藍と叶、私と理央くんがそれぞれ横並びになったが、一応四人で四角形のようにまとまって歩いていた。
「ハルチカちゃーん、ぎゅってして?」
他愛ない話が一段落して、唐突に、両手を広げた理央くんに子供のようなかわいい笑顔でおねだりされた。
だがこんな笑顔はもう見慣れたし、女癖が悪い(と優さんに教わった)裏の顔も知っているので普通に嫌だった。
「えぇ、なんで?叶じゃダメ?」
「うん」
即答。……当たり前か。
そして、理央くんは一段と明るい声を出した。
「女のコとだから意味あるんだよー。大丈夫だって!ここ外だし、ハグした勢いで服の中に手ぇ入れたりしねぇから」
理央くんの目つきが変わり、空気が一変した。
反射的に後ずさると、その分だけ理央くんが距離を縮めてきたので、私は焦ってさらに後ろへ下がった。
「裏出てますよ理央くん!?まだ起きてないんじゃないの!?ねぇ!!」
「起きてるから安心しろ」
「全く安心できないんですけどー!!た、助けて藍!!」
ついに壁に追いやられ、逃げられないと悟った私は大声で助けを求めた。
しかし私たちが止まっていた間も藍と叶はサクサク歩いていたため、二人とはそこそこ距離がある。きっとすぐには助けに来れない。
妖しく笑う理央くん。少しだけ、ドキッとした。
「あっ……ん、ぁ」
首筋に軽くキスをされ、舌でなぞるように舐められる。理央くんはこういうことに慣れているのだろう、やり方が上手いようで、彼を好きなわけではないのになぜだか嫌な気分にはならなかった。
ていうか変な声出た……は、恥ずかし……!
ぎゅっと目を瞑る。少し間が空いて、私の頭に誰かが優しく手を置いた。
「大丈夫?遙悠」
乱れた息に混じって聞こえた声。
瞼を開けば、軽く息を切らしている藍がこちらを見下ろしていて、心配そうな茶色の瞳と目が合った。
なんか、意外と目の色明るいんだ……とか、綺麗だなとか、いろんなことが頭に浮かんだ。
「うん……大丈夫。ありがと」
「……よかった」
藍が私から目を逸らしつつ、ポンポンと撫でてくれる。
らしくない藍の行為に、私はきょとんとした。
「藍?どうしたの?」
「……優に頭ポンポンされてる時、遙悠いつも嬉しそうにするから、これ、好きなのかなって」
「あ、あぁ……なるほど」
傍から見て分かるほど嬉しそうにしてるんだ私……と、若干赤面する私を、藍がじっと見つめてくる。
何も言われていないのにどことなく不安が伝わってきて、そんな藍を可愛く思ってしまった。
右手を上に伸ばして、私の頭にある藍の手に触れ、笑う。
「うん、好き。ありがと」
「ハルチカちゃん、僕にも好きって言ってよー」
背後から理央くんにぎゅうっと抱きつかれた。
この体勢の時、ちょうど顔の真横に理央くんの顔がくる。そして彼は自らの可愛さを余すことなく使って訴えてくるのだ。
「僕のこときらい?」
少年顔の理央くんにうる目で聞かれて、突っぱねることができる人はこの世に何人いるだろうか。
「……き、嫌いじゃないよ」
たまに変なことを言い出したり、スイッチが入って襲おうとしてきたりするけど、それ以外の時は良い人だし。ただその二つが強烈すぎて「好き」とは言えないんだけど。
「ハルチカちゃんだいすきー!」
ぎゅううっとさらに強く抱きしめられ、息が苦しくなる。
「あ……ありがと……」
ストレートな愛情表現は嬉しかったが、向けられる好意と同じだけのものを返せない申し訳なさからいたたまれなくなって、私は理央くんの方を見ずに言った。
だから、その時彼がどんな顔をしていたのかは知らない。
「……あいつのあの『好き』は、お前に対してじゃねぇぞ。撫でられることが好きってだけだからな」
「……わかってるよ。叶」
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!