田村も首を傾げる。下手側には菜美がいるが、上手には真奈の姿が見当たらない。
田村が言い終わる前にも大輝は走り出していた。信じたくなかった。あの人は、きっと……。
客席を出た大輝は、ホールから幕へと繋がるドアをこじ開ける。スタッフの静止も聞かず、ただひたすら廊下を疾走した。
真奈は、廊下のベンチに座りこんでいた。耳を押さえ、荒い息を吐いている。
大輝は声をかけた。しかし返事はなく、顔をあげようともしない。仕方なく大輝は隣に座り、真奈の肩に手を置いた。
ビクッと肩が動き、真奈は顔をあげる。口を開けたが、声は出てこなかった。代わりに目に溜まった涙が溢れる。
大輝はもう一度、呼びかけた。真奈は必死に首を振り、口をぱくぱくさせる。
真奈はやっと、大輝の名字を呼んだ。
辿々しい口調で、泣きながら真奈は訴える。大輝は顔を曇らせた。
大輝は静かに尋ねる。耳が聞こえるようになったのか、真奈はコクリと頷いた。
そして、そのまま大輝の胸に飛び込んでくる。大輝のスーツに顔を押し付け、声をあげて泣いた。
そんな真奈の華奢な肩を、大輝はそっと抱きしめる。
──この人は……もしかして、ずっと俺のことを覚えていてくれたのだろうか……。幼い頃の、消したいはずの記憶から逃げずに……。
大輝はいつまでも、真奈を抱きしめていた。
ライブが終わった後、真奈と菜美は田村に連れられていった。大輝は担当を降ろされ、別の班に引き継がれたが、田村は担当に残っている。後日、大輝は真奈と面会したが、真奈は何も語らなかった。調書を書いた田村の話では、事件の全貌はほぼ大輝が語ったものと同じだったらしい。ただ、菜美が真奈の家の合鍵を持っていたこと、エアコンなどの工作は菜美の完全な独断行為だったことなど、予測していなかった事実も存在した。
正当防衛は認められるだろうし、近いうちに2人とも出てくるだろう。そして一般市民として平和な暮らしを始めるのだ、と思う。
ここに誓おう。俺は何があってもあなたの側にいると。たとえあなたの耳が聴こえなくなろうとも、俺はあなたに語りかけ続けることを。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。