第16話

隠された傷跡
1,070
2019/01/24 09:00


 彼から一歩でも離れようと逃げた先は、初めて心中をした海だった。


 沈みかけの夕日で煌めく海は、とても寂しそうに見える。


希空
希空
(……雪飴さんと鳴海さん、うまくいけばいいなぁ)


 足元の砂浜を眺めていると、雫が落ちて砂を濡らす。

 知らぬ間に、瞳から涙が零れ落ちていた。


希空
希空
(もう私が生きている意味なんて……)


 涙で濡れる砂浜を踏みしめていくと、さざ波が私の足を飲み込む。

 誰ともつながることなくくうを掴む手。

 目の前に広がる海。


希空
希空
(もう、……一人だ)
雪飴
雪飴
希空!


 声とともに、誰かが海に入って駆けてくる音がする。


鳴海
鳴海
待って、希空ちゃん!


 腕を強く掴まれた勢いで、私の体は後ろを向かされる。

 私の腕を掴んだ彼女は、汗をかきながら瞳を悲しげに歪めていた。

 その後ろから、松葉杖をついてゆっくりと歩み寄ってくる彼。


鳴海
鳴海
どうしちゃったの? 今、海に入ろうとしてたよね
希空
希空
……そんなの、関係ないじゃないですか
鳴海
鳴海
関係あるよ! 二人で雪飴を助けようって約束したじゃん! なにか辛いことがあったなら、話聞くよ


 私の腕を掴む手も、心配そうに見つめる眼差しも、優しい言葉も、全部が傷ついた心には毒物だった。

 全てを私から遮断したくて、彼女の手を突き飛ばす勢いで振り払う。


希空
希空
もう……、やめてください!
鳴海
鳴海
きゃっ!
雪飴
雪飴
鳴海!


 よろけた彼女は座り込み、跳ねのけた手の袖はめくれ上がっていた。

その袖の隙間から、何本もの赤い線のような傷あとが見える。


希空
希空
……鳴海さん、その腕の傷


 足を引きずりながら歩み寄ってきた彼も、彼女の腕を見て息を呑む。


鳴海
鳴海
……見間違いじゃない?
そんなのないよ
雪飴
雪飴
けど、鳴海
鳴海
鳴海
もう行こ! 雪飴は退院したばっかなんだから、やっぱり砂浜を歩くのはよくないよ!


 彼女は何事もなかったように袖を直して、いつもどおりの笑顔を浮かべる。


雪飴
雪飴
今、希空を一人になんてできないだろ
鳴海
鳴海
大丈夫でしょ。ほら、もう――
雪飴
雪飴
希空! 話があるんだ。大切な話。……絶対、一人でいなくなったりしないで
希空
希空
え、……あ……


 一心に見つめてくる瞳から、私は目をそらして俯くことしかできなかった。

 今更どんな顔をすればいいのかわからない。

 彼の言葉一つで心が揺らぎそうだけれど、それでも、彼が私をおいて一人で死のうとしたことは忘れられない。


雪飴
雪飴
……またね、希空


 顔をあげると、二人の背中は遠のいていた。

 彼女の袖は手首まで伸ばされ、あの傷を隠している。


希空
希空
(私も、……隠そう)


 あまりに傷つきすぎた心を、もう誰にも見られないように。







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