第2話

欠けた鏡
2,919
2018/10/09 09:00


 海を背に月明かりを浴びている彼は、私に優しい眼差しを向ける。

 しかし、口にしたのは心中という言葉だった。

希空
希空
……なんで、私なんですか?
雪飴
雪飴
俺と似てるって、思ったからかな
希空
希空
似てる?
雪飴
雪飴
そう、自分なんていなくなればいいと思ってるでしょ
希空
希空
……それは、どこにも本当の自分なんていないから
雪飴
雪飴
うん。そんな中で生きていくのって、心が死んじゃうよね

 彼は今にも消えてしまいそうなほど儚く、悲しそうに海を眺める。その横顔は陰っているけれど、欠けた月のように美しく見えた。

 彼のそんな危うい美しさに、私は目をうばわれてしまう。

雪飴
雪飴
だから、遠いところへ行こう。自分のことも他人のことも気にしなくていいところへ。
雪飴
雪飴
一緒ならきっと怖くないから
希空
希空
……一緒なら、……怖くない





 月が雲におおわれ、辺りはどんよりと暗くなる。

 彼は防波堤ぼうはていの端で準備を始めた。
 あの色白できれいな手が、私と彼の死をたぐり寄せていく。

雪飴
雪飴
じゃあ、この紐を足に縛ってくれる?
希空
希空
……うん、縛った
雪飴
雪飴
これで、君と俺が離れる心配はないよ
希空
希空
この真ん中のはおもり?
雪飴
雪飴
うん、軽いやつだけど一応ね
希空
希空
沈むのって、苦しいのかな?
雪飴
雪飴
怖くなってきた?
希空
希空
……ううん、大丈夫

 そういうと、彼はまたしゃがみこんで紐をいじる。

 本当は怖い。死にたいと望んでいたはずなのに、今すぐ逃げ出してしまいたい。

 それでも逃げ出さずにいられるのは、彼が一緒にいてくれるから。

雪飴
雪飴
ん、調節おわり
希空
希空
ねぇ、お兄さん
雪飴
雪飴
あ、俺は草間雪飴くさまゆきあ
希空
希空
え、えと、桐谷希空きりたにのあ……です
雪飴
雪飴
ははっ、死ぬ前に自己紹介って変だね

 そう、無邪気むじゃきに笑う彼を初めて見た。
 優しいものでも儚げなものでもない。可愛い笑顔。

 そんな彼の瞳に私が映り、指先で頬を撫でられる。

 色んな彼が、私の中で泡のようにあふれた。けど、それはすべてが今にも割れてしまいそうで……。

希空
希空
雪飴さんは、怖くないの?
雪飴
雪飴
怖いよ。死にたいけど、死ぬのは怖い
希空
希空
……じゃあ
雪飴
雪飴
……さっきも言ったけど、きっと、君が一緒にいてくれるなら大丈夫なんだ
希空
希空
そっか、そうだね
雪飴
雪飴
……じゃあ、ちょっと重いと思うけど、足をぶら下げてここに座って
雪飴
雪飴
せーの、で飛び込むよ
希空
希空
その前に、……ううん、何でもない

 手をつないでほしい。けど、やっぱりそんなことは言えるはずもなくて。私は、夜風にさらされて冷えきる胸の痛みに耐え、言葉を飲み込む。

 しかし、それは指先に触れるぬくもりで一瞬にして温まる。私の手は彼に優しく包み込まれていた。

雪飴
雪飴
大丈夫だよ
希空
希空
……ありがとう、雪飴さん
雪飴
雪飴
うん、行くよ
雪飴
雪飴
せーの





    ざ



       ぷ



   ん






 体を引き裂かれる冷たさの中、私は沈んでいく。

 目を開けると、彼と見た輝く海がぼんやりと見える。

 こんなにきれいなところで、こんなにきれいな人と死ねるんだ。
 大丈夫、あの白くきれいな手で私は包み込まれているから。


 そう思っていたけれど、彼の手は私のもとから泡のように消えていた。

 辺りを見渡しても、足の紐先を探っても、彼らしい影は見つからない。

 まさか、本当に彼は幻だったのではないか。
 不安になった私は、海の中であるにもかかわらず。


希空
希空
ゴポゴポッ!!

 雪飴さん、そう叫ぼうとした。
 肺に水が流れ込み、視界は暗く閉ざされていく。

 遠のく意識の中、沈んでいく彼が見えた気がした。


 最後の力を振り絞って手を伸ばし、彼のぬくもりをとらえる。

 安堵あんどし目を閉じかけた時、目の前には月明かりで輝く彼がいた。



 気がつくと、私は浜辺に横たわっていた。


雪飴
雪飴
希空!!



 彼の声が聞こえる。

 力が入らず反応できないでいると、彼の顔が徐々じょじょに迫ってくる。


 唇が触れそうになり、私はやっと彼のYシャツを握る。


 彼の唇は離れていき、今にも涙がこぼれ落ちそうなうるんだ瞳が見える。

 精一杯微笑むと、彼は私を力強く抱きしめた。








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