海を背に月明かりを浴びている彼は、私に優しい眼差しを向ける。
しかし、口にしたのは心中という言葉だった。
彼は今にも消えてしまいそうなほど儚く、悲しそうに海を眺める。その横顔は陰っているけれど、欠けた月のように美しく見えた。
彼のそんな危うい美しさに、私は目を奪われてしまう。
月が雲に覆われ、辺りはどんよりと暗くなる。
彼は防波堤の端で準備を始めた。
あの色白できれいな手が、私と彼の死をたぐり寄せていく。
そういうと、彼はまたしゃがみこんで紐をいじる。
本当は怖い。死にたいと望んでいたはずなのに、今すぐ逃げ出してしまいたい。
それでも逃げ出さずにいられるのは、彼が一緒にいてくれるから。
そう、無邪気に笑う彼を初めて見た。
優しいものでも儚げなものでもない。可愛い笑顔。
そんな彼の瞳に私が映り、指先で頬を撫でられる。
色んな彼が、私の中で泡のようにあふれた。けど、それはすべてが今にも割れてしまいそうで……。
手を繋いでほしい。けど、やっぱりそんなことは言えるはずもなくて。私は、夜風に晒されて冷えきる胸の痛みに耐え、言葉を飲み込む。
しかし、それは指先に触れるぬくもりで一瞬にして温まる。私の手は彼に優しく包み込まれていた。
ざ
ぷ
ん
体を引き裂かれる冷たさの中、私は沈んでいく。
目を開けると、彼と見た輝く海がぼんやりと見える。
こんなにきれいなところで、こんなにきれいな人と死ねるんだ。
大丈夫、あの白くきれいな手で私は包み込まれているから。
そう思っていたけれど、彼の手は私のもとから泡のように消えていた。
辺りを見渡しても、足の紐先を探っても、彼らしい影は見つからない。
まさか、本当に彼は幻だったのではないか。
不安になった私は、海の中であるにもかかわらず。
雪飴さん、そう叫ぼうとした。
肺に水が流れ込み、視界は暗く閉ざされていく。
遠のく意識の中、沈んでいく彼が見えた気がした。
最後の力を振り絞って手を伸ばし、彼のぬくもりをとらえる。
安堵し目を閉じかけた時、目の前には月明かりで輝く彼がいた。
気がつくと、私は浜辺に横たわっていた。
彼の声が聞こえる。
力が入らず反応できないでいると、彼の顔が徐々に迫ってくる。
唇が触れそうになり、私はやっと彼のYシャツを握る。
彼の唇は離れていき、今にも涙がこぼれ落ちそうな潤んだ瞳が見える。
精一杯微笑むと、彼は私を力強く抱きしめた。
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編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!