私はセツさん、セトさんに連れられて、屋敷の中を見て回った。
浴場、衣装部屋、お手洗い、私の部屋、執務室、……アベル様の部屋。
内装から調度品まで洗練されているのは当然だけど、それ以上に隅々まで手入れが行き届いている。
本当に、こんなに素敵な場所で暮らしていいのかな?
× × ×
最後に案内されたのは、鉄の扉。何重にも鍵がかかって、鎖の装飾に薔薇が巻き付いている。
一目見ただけでわくわくしてしまう。この扉の向こうにはどんな不思議が待ち受けているんだろう?
……けれど。
扉を塞ぐように並んで立つセツさんとセトさんが、目を閉じたまま私を振り返る。
絶対に見せない瞼の奥の瞳が、絶対零度の視線をぶつけてくる。
ここに近づいて殺されるのは猫でもセツさんでもセトさんでも、ましてやアベル様でもなく、私なんだろう。
私はそれを感じ取れないほど鈍くもない。
アベル様が案内するように言ったということは、それだけこの部屋が重要で危険、ということなんだと思う。
もしかしたら、また別の世界に繋がっているのかもしれない。
……私はまだ、この世界にいたい!
× × ×
広すぎる私室に戻った私はフリルガウンに着替えてからローズウッドの机に向かって、大まかな施設の構造を書いていた。
簡単にでもまとめておかないと、すぐに場所を忘れてしまいそうなほどにこのお屋敷は広大だ。
セツさんとセトさん、毎日お掃除大変なんだろうな。二人とも怖いけど、そこはすごいなって思う。
私の肩が大きく跳ねる。
ゆっくり振り返ると満面の笑みを浮かべたアベル様が、藍色のガウンを纏って立っていた。
その言葉で私は思い出した。私がいない方がいいっていう、私がいた世界の人たちを。
アベル様のほうを向いているのがつらくなって、机の上に視線を戻す。全身が震える。
アベル様は私を後ろから抱きしめて、羽根ペンを握る私の右手に大きくて暖かな右手を重ねた。
その隙間に、冷たくて固い感触がある。
その声の優しさに従って、私は震える手を開いた。羽根ペンが緩い弧を描いて倒れる。
アベル様の手が離れて、私の手の甲には冷たくて固い感触の正体だけが残った。
金の石座に青く輝く宝石がはめられた指輪。
そう言って、アベル様は快活に笑った。遠慮のない、自由な笑み。
私は指輪が乗った右手の甲を左手で抑えて、泣いてしまった。
抑えきれない、涙が溢れて溢れて。嬉しくて嬉しくて、この気持ちをどう伝えていいか解らない!
私はアベル様に居場所をもらった!私はここにいて良いんだ!
アベル様は右肩から乗り出して、私の涙を指で拭った。
涙でにじむアベル様の笑顔は、初めて見る快活な笑顔。
その笑顔に愛しさが湧く。
アベル様は私の頭を撫でてから、私を抱き上げ、ベッドに連れて行った。
密着しながら恥ずかしいことを思い出す。そうだ、私、衣装部屋で、キス、されたよね?
もしかして、もしかして。私、これからアベル様と……?だだだ、ダメ!そんなのー!
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!