第23話

鏡に映った私に触れて
2,170
2019/03/05 12:27
私は上嶋くんに向けて手を伸ばす。



喰べたい喰べたい喰べたい――
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(おさえ、られない)


上嶋くんを、喰べたくない。

私が上嶋くんに襲いかかりそうになったその時。
九井原 皐月
九井原 皐月
夕莉っ!
ばっと皐月ねえが私の前に躍り出る。
鞄の中から何かを取り出した――

後ろで縛った髪が天使の羽みたいにぱさりと舞って、私を抱きしめる――
九井原 皐月
九井原 皐月
大丈夫
と優しく、透き通るような声で呟いた。




ちくりと腕に小さな痛みが訪れた。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
あっ……
注射器から透明な液体が私の体に注入された。じくり、という痛みとともに体の熱が引いていく。力が抜けた私は、ぺたりと地面に座り込んだ。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
はあ……はあ……
九井原 皐月
九井原 皐月
夕莉、平気?
皐月ねえが背中を擦ってくれる。
九井原 皐月
九井原 皐月
さっきのは食人衝動を抑える薬……
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……薬?
皐月ねえが密やかな声で呟く。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(薬って……そんなの今まで聞いたことない)
確かに、さっきまでの苦しいほど強い衝動が嘘みたいに治まっていた。

だけど、どうして皐月ねえが?
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
……夕莉?
上嶋くんがおそるおそる近づいてくる。
疑念か、心配かわからない表情。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(どうしよう。上嶋くんに食人鬼だってバレるよね)
ぎゅっと握った拳が震える。

さっきまであんなに熱かった体が、絶望に冷え切って凍えそう。

自分の体がこんなにも冷たくて、君とは全然違うんだって思い知らされる。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
夕莉、お前――
九井原 夕莉
九井原 夕莉
上嶋くん、ごめん私――
九井原 皐月
九井原 皐月
そう、精神的なストレス
九井原 夕莉
九井原 夕莉
へっ?
皐月は白いカードをちらっと出して鞄にしまう。
九井原 皐月
九井原 皐月
患者カードも忘れてないから帰りに病院寄ろうか。昔から緊張する状況に弱いのよね夕莉は。ストレスが溜まると暴れ出しちゃうから、軽い鎮静剤を持ち歩いてるの。
皐月ねえは私のスカートポケットから錠剤を取り出す。
九井原 皐月
九井原 皐月
ほら、今日分飲むの忘れてる
皐月ねえは私にだけわかるようにウィンクして薬を渡した。


もちろん、ポケットには薬なんて最初から入ってない。皐月ねえが入っていたフリをしたってことだろう。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
……そう、なのか
上嶋くんは考え込むように額を押さえる。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
じゃあ……レモン牛乳しか飲まないのも、ストレスで?
九井原 皐月
九井原 皐月
そう、人前の食事に緊張しちゃって窓ガラス割ってダイナミック逃走したことがあってね……
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(それは流石に話を盛りすぎでは!?)

ううん、と上嶋くんは唸ると真剣な面持ちで私の肩に手を置いた。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(や、やっぱダメ……!?)
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
すまん! 初対面で食人鬼って疑ったりして……お前がそういう体質だってことを知らずに……
九井原 夕莉
九井原 夕莉
い、いや……大丈夫気にしないで……私も噛んだりしてごめんね……
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
気にするな、夕莉が付けた傷なら悪い気はしな……うん?
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……はい?
ぼぼぼ、とまた熱が上がる感覚。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
あの……どういう意味!?
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
あー……! いや変な意味じゃなくて、いや、何言ってるんだ俺、ええと、そう!助手だから問題ない!
九井原 夕莉
九井原 夕莉
なるほど! なるほどね!  え……でも助手ってそんな関係だっけ…!?
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
あーー………………………………………いいんだよ、お前なら
上嶋くんは頭をがしがしとかきながら言う。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
これからもずっと一緒なんだから
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……へ
手のひらで顔を覆っているけど、目だけは真っ直ぐこちらを向いていた。月明かりが上嶋くんを照らして、白い肌が上気しているのが分かる。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
それって……
助手として? それとも……
九井原 皐月
九井原 皐月
あーーーーーーっ!
皐月ねえの叫びにびくっと体が硬直し、振り返ると体をずるずると引きずって地面を這いつくばっている三好先輩が見えた。
九井原 皐月
九井原 皐月
逃げようとしたってそうは行かないわっ
九井原 夕莉
九井原 夕莉
待って皐月ねえ!  三好先輩も逃げ切る体力はなさそうだからそんなに急がな
九井原 皐月
九井原 皐月
そりゃーーーーーーーーーっ!
ノロノロと這い出している三好先輩に容赦なく皐月ねえは疾走タックルをかまそうとしていた。
三好 修吾
三好 修吾
うわーーーーーーーーーっ!!
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
チーターと亀…………





















結局、三好先輩は皐月ねえにベルトで入念に拘束された。

三好 修吾
三好 修吾
はあ……負けちゃったか
身動きの取れない三好先輩は諦めたように笑った。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
……お前には聞きたいことがある
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
俺の妹……ゆうかを殺したのはお前か?
上嶋くんはぐっと堪えるように、低い声で尋ねる。

妹のことを思うと辛くて食人鬼が許せないんだろう。
三好 修吾
三好 修吾
いいや……僕は人間に興味はないんでね
ちらっとこちらを見られて、ついぎょっとする。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
嘘をつくな
上嶋くんが胸ぐらを掴んでくいかかる。拳を振り上げて今にも殴りかかりそうだ。
三好 修吾
三好 修吾
いいのかな? 僕は君の妹を殺した犯人を知ってるのに
ぴたりと、上嶋くんの拳が止まる。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
どういうことだ?
三好 修吾
三好 修吾
さあ……ね
三好先輩が挑発するように笑うと、上嶋くんはまた腕を上げる。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
待って! 上嶋くん
私は上嶋くんの腕を止めて二人の間に入った。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
ここは私に
上嶋くんは一瞬眉間に皺を寄せたが、腕を静かに下ろした。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
……わかった。
三好 修吾
三好 修吾
……で? 俺をどうする? 殺す? 食人鬼なんて結局ただの化物なんだ。いずれ君だって――
バチンっ!

乾いた音が夜の山奥にこだました。

頬を叩かれた三好先輩は何が起こったかわからず、唖然としている。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
もう……強がるのはやめて
私は少し赤くなった頬をそっと触る。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
これは上嶋くんと美空の分。あなたのしたことは許せない。だけどこれ以上痛めつけたりしない
九井原 夕莉
九井原 夕莉
私も、あなたと同じだった……ずっと自分と向き合えないままだった。でも認めなくちゃいけないんだよね
九井原 夕莉
九井原 夕莉
あなたのことを認めるよ。三好先輩、あなたはただずっと寂しかっただけなんだ
三好 修吾
三好 修吾
はっ……
三好は鼻で軽く笑う。
三好 修吾
三好 修吾
なんだよ……今更そんなの。本当に君ってずるい子だね


素っ気ない言葉とは裏腹に。
三好 修吾
三好 修吾
認められない方が、救われるのに



母親を見つけた子供みたいに目を潤ませて、


泣いてるように彼は笑っていた。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
三好先輩……
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
……さあ、教えて貰おうか。ゆうかを殺した犯人を
さっと上嶋くんが不機嫌そうに、私が三好先輩の頬に添えていた手をどかして話に入ってくる。
上嶋くんとしては早く犯人を聞きたいんだろう……にしては少し焦っているような?
三好先輩と私の間に入って、三好先輩に触れていた手を代わりに上嶋くんが強く握っていた。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(って手つないで…!?)
三好先輩はため息をつくと、ゆっくり口を開いて慎重に語り始める。
三好 修吾
三好 修吾
……あの事件は――――
その刹那――――







バサバサバサバサバサバサっ!!


という耳障りな羽音に急に包まれて――


















――――三好先輩が消えた。





九井原 夕莉
九井原 夕莉
えっ…………?
羽音の正体はコウモリの大群だった。キィキィと鳴き声をあげながら、辺りを飛び回っている。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
夕莉! 上だ!!
見上げると高い木の枝に人影が立っていた。

その人影は三好先輩を抱えている。

暗い中で目を凝らすと、青い光沢を放つ黒いフード付きコートを着ており顔は仮面で覆われていた。

ハートを逆にしたような、印象的な仮面。
???
なるほど……これはいい素材だ
仮面で隠れていない口元がにいっと、こちらを見てつり上がったような気がした。
九井原 皐月
九井原 皐月
待てっ!!
皐月ねえが追いかけようとするよりも先に、仮面の人影はすうっと木々の闇に消えた。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
三好先輩っ!!
叫んだ声も森の奥に飲み込まれる。


あの人影はーー?

突然の誘拐に私は戸惑うことしかできない。

だけど上嶋くんはなぜか落ち着いていた。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
あれは……
上嶋くんは突如現れた仮面の人影を知っているようだった――。

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