季節は冬を迎えて、朝5時はまだ真っ暗だった。
1年のうち、1番売り上げが伸びる12月。
ここのところ毎日忙しくて、浦野はあたふたしていた。
クレームと忘れ物の問い合わせがいつもの倍になり、配車予約も毎日入る。
スマホ配車のおかげで、だいぶラクになったとはいえ、複数車手配などの大口予約は、いまだにアナログ手配だ。
乗務員の態度が悪い。
わざと遠回りされた。
お釣りが100円少ない。
希望の場所で下ろしてくれなかった。
車内が臭い、汚い。
クレームは、その通りの事もあるが、言いがかりもある。
全件ドライブレコーダーや走行記録を確認して対応していく。
乗務員への指導を行い、客先に対応し、報告書を作る。
そして忘れ物。
圧倒的に多いのが傘と携帯だ。
携帯は、毎日出てくる。
お忘れ物はありませんか、の声がけをするように指導するけど無くならない。
座面と背もたれの間に押し込んであったり、車道側のドアとの隙間に落ちてたり、椅子の下から出てきたりする。
こうなると、営業後の車内清掃時でもなければ見つからない。
ひと晩は事務所で預かるが、財布と一緒なので基本は警察へ持っていく。
警察での遺失物処理がまた時間を取られるのだ。
今日は忘れ物はありません、て当直に言われると、思わず踊ってしまうぐらい嬉しい。
浦野は、電動キックボードに乗って、軽く鼻歌を歌いながらまだ真っ暗な中を営業所に向かっていた。
風が冷たくて手が切れるから、手袋をして。
黒いダウンにカバンを肩から袈裟掛けにして。
大きな四つ角の交差点。
信号は青だったから、そのまま横断歩道を渡っていく。
いきなり、青い軽自動車が、浦野の後ろからノンストップで左折してきた。
曲がる軌跡がふくらんでるから、それなりにスピードが出ているとわかる。
アッと思った時には、もう浦野は地面に投げ出され、叩きつけられていた。
ヘルメットを被っていても、ガツッと頭に響く衝撃音。
『ブロック会議の資料まだ作り終わってないのに……』
眩しくアッパーにされたヘッドライトが光った。
キーッと響くブレーキ音を聞きながら、浦野の意識が遠くなっていく。
「秀太ーーッ」
誰かが大きな声で叫んでいた。
たまたま営業を終えて帰社しようとしていた本田が通りかかったのが幸いした。
青の軽は走り去っていったが、本田は咄嗟にナンバーを大きな声で読み上げていた。
ドライブレコーダーに写っていない時の為だ。
その場で救急車を呼び、警察を呼ぶ。
搭載されているドライブレコーダーには、それらの様子が全部映っていた為、その日の午後には犯人確保に進んだ。
暗闇の中、案の定ナンバーは写ってなかったから、本田が叫ぶように読み上げたのが大きかった。
軽の運転手は救護義務違反、いわゆる当て逃げとして、重過失を取られることになった。
もし本田が通りかからなかったら、真っ暗な中、黒いダウンを着て道の真ん中に倒れていた浦野は、他の車に轢かれていたかもしれない。
カバンに付けていた反射板のマスコットは、衝撃で割れて無くなっていた。
浦野はそのまま入院。
幸い、脳震盪(のうしんとう)と全身打撲だけで済んだ。
相手は任意保険に入っていなかった為、自賠責を使うようだ。
キックボードを買う際に加入していたバイク保険が、対応をしてくれる事になった。
通勤時の事故の為、労災も適用される。
「俺のキックボード……予約待ちでようやく買えて、まだローン残ってんのに」
『大事なかったんだから、良かったじゃん。
佐野がいっしょけんめー、直してたぞ。
反射板あちこちに付けてピカピカさせてな(笑)。
……オレ、今回はほんとビックリしたわー。
まさか、あんなとこに出くわすとはなー』
「……ホントありがとうございました」
『秀太がいつも、なんかあったらナンバー読み上げろって言うから、その通りにしただけだよ。
礼はラーメンおごってくれりゃいいから(笑)早く元気になって出てきてくれ。
オマエいないと、所長ひとりで大変そうだよ。
中川もオマエの行ってらっしゃいが無いと寂しいって言ってた』
本田はいったん言葉を切って、ためらうように、
『オレも、オマエのお帰りなさいがないと、頑張る張り合いがないや』
いつも言わないような事を言って、電話の向こうで照れて真っ赤になった本田の顔を思い、浦野の頬が熱くなる。
「わかりました。
俺が復活したら、点呼で、左折時の巻き込み注意と、救護義務違反禁止、口が酸っぱくなるほど言わせてもらいますね」
電話の向こうで本田が笑った。
1週間後、ピカピカと反射板をあちこちに付けた、デコトラならぬデコキックボードに乗った浦野の姿が、街の中で見かけられるようになった。
浦野がこんなの恥ずかしい、と抵抗して文句を言っても、整備の佐野がガンとして許さなかった。
この事故以来、浦野のキックボードは、みんなからキラキラ号と呼ばれるようになる。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!