警察官の佐野は、前から希望していた部署移動になった。
担当は交通事故。
殺人とか傷害とかじゃないんだ、って少しがっかりしたが、交通は、とりあえずエリートコース。
ただ、書類作成がめんどくさい。
赴任早々、ひとりの女性が、約20年ぐらい前の事故について、再調査して欲しいと言ってきた。
その事故は、国内で開催された音楽コンクール決勝当日、交通事故で他界したピアニスト、浦野秀太の単独死亡事故だった。
優勝を祝って催されたレセプションの帰り、神奈川の自宅に向かう途中でハンドルを切り損ね、ガードレールを破り、坂下に転落。
頭と胸を強く打って、即死。
体内から微量のアルコールが検出された為、酒気帯びとして、被疑者死亡で送検された。
女性は、
「兄は下戸(げこ)でした!
お酒は飲めないんです!
運転も慎重でした。
スピード出したりしません!
もしかしたら、誰かに殺されたんじゃ…」
と言い張る。
音コンで優勝し、リサイタルも決まっていた。
華麗な音が人気でファンを増やしていた矢先の、痛ましい事故死。
身内なら信じたくない気持ちもわかる。
佐野は当時の調査報告を見た。
車は浦野が買ったもの。
ゆるやかな登りの坂道を、アクセルを踏んで進んで行った。
急ブレーキを踏んだと見られるブレーキ痕。
スピンしてハンドルロックがかかり、ガードレールを突き破る。
坂下には民家があったが、幸いにも庭先に落ち、二次災害は無い……。
不審なものは何ひとつ無かった。
祝賀レセプションで、カクテルを飲んでる浦野の写真があった。
微量なアルコールの根拠となった。
優勝を喜ぶ幸せな顔。
周囲の人々も……。
ん?
佐野は、写真のはじ、浦野の快挙を喜ぶ人々の姿の中に、見知った顔を見つける。
10年ほど前、病気で死にかけていたホームレスの男。
男は浦野のそばに行くことは無く、遠巻きの中にいて、幸せそうに笑っている。
誰だ?
事故そのものに不審な点はないが、男の身元が気になった。
中川は、ハルオと久しぶりに食事をしていた。
ハルオが退院した後、なんだかんだで3ヶ月ほど同居は続き、ハルオの戸籍取得と、生活保護の申請が通って、ハルオは出て行った。
保護費は、家賃補助と、生活費、指定医療機関の医療費が無料になる。
何とか自立の目処がたったことになる。
ハルオは、体調の回復と共に、少しずつ家事をこなして、中川を喜ばせた。
中川は、営業のポイントを稼ぐ為に打たされた定期預金40万の1本を、ハルオの為に解約した。
貯金を持ってると保護費の申請は通らないから、現金10万をハルオに渡して、残りでiPhoneとWi-Fiを買ってやった。
携帯が無いと連絡が取れなくて、それはぼくのストレスになるから、と言って。
その後ハルオは、日雇いの、派遣だったが、大きな倉庫で働くようになった。
ネットショップで注文された商品をピッキングし、パッキングして配送に回す仕事。
働くには保証人が必要だから、従兄弟と偽って、中川がなってやった。
稼げばその分保護費の支給は止まる。
でもハルオは、それが嬉しいようだった。
1〜2か月に1度、ハルオは中川を食事に誘う。
ラーメン屋、居酒屋、定食屋、中華、焼肉。
手料理。
中川は喜んで誘いを受けて、お互いの近況を話し合った。
困っている事はないか、うまくやっているか、さりげなく確かめながら。
そんな食事会の日。
その日は、ハルオが、勤め先の倉庫から、派遣ではなく直接雇用になる気はないかと、誘われたという、嬉しいニュースが待っていた。
中川自身も、融資課長から、副支店長に職階が上がるかもしれない内示が出たあと。
職階が上がれば、当然給与が上がる。
ふたりは、和食屋に来ていた。
そこへ、警察官の佐野が現れる。
「邪魔してすみません。
でも。
もし知ってたら教えてほしいんです。
都合悪かったら、あらためてもいい」
佐野は1枚の写真をテーブルに乗せる。
それを見て、笑ってたハルオの顔が強張った。
中川は、ハルオの表情に、楽しかった気持ちが踏みにじられたように感じる。
「浦野秀太」
佐野の言葉に、ハルオの顔がみるみる白くなる。
「……音コンで優勝した日の夜、交通事故で死んだんだけど……知ってるんだね?
単独事故だったけど、もしかして……」
「……オレが」
ハルオは泣き出した。
「オレが運転するって言ったのに、アイツ、ご機嫌で。
楽しそうで、幸せそうで。
オレも嬉しくて……ずっと冗談言って笑ってて。
でも猫が」
ハルオはもう話せなかった。
そのあと、時間をかけて、佐野が聞き出した話は、こうだ。
飛び出した猫を避けようと、ハルオがハンドルをつかんで車の頭を右に切った。
対向車はいなかった。
その時運転席にいた浦野が、ブレーキを強く踏んだ。
そのせいで車がスピンし、遠心力でハルオは助手席から車外に投げ出され……。
落ちたのが草むらの中だったからか、ハルオは発見されず放置され、気付いた時には何もかも終わっていた。
それからはホームレスとなって生きてきて。
「アイツが死んだのはオレの〜〜〜」
「……音叉はその人の?」
問いかける中川の声は低かった。
「優勝の記念に、って、あの晩アイツがくれて」
「なんですぐ名乗り出なかったんです?」
ハルオは首を振った。
行動の説明など、できるはずもなかった。
「本名は?」
佐野の声は優しかった。
「……本田康祐」
「じゃあ、記憶が戻ったとして、戸籍復活の手続き取りましょうか」
「え?」
「ご両親にも会いたいでしょう?」
「逮、捕、は?
オレ、逮捕されるんじゃないの?」
「浦野さんの事故に同乗者はいません。
いたとしても、あなたが事故の原因と立証できるものは何もありません。
事故直後、あなたを発見できなかったのは、我々のミスですし。
僕はただ、真実があるなら知りたかった。
それだけです」
ハルオと名乗っていた本田は、自責の日々から解放されたのを知った。
泣いて泣いて、ふと気付くと、中川が黙って微笑んで自分を見ている。
「本田くん?」
「あ……ッ」
「ほんとに良かった」
中川は、初めてハルオの頭を撫でた。
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編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。