第8話

COLD CASE ある未解決事件①
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2022/05/21 09:10




雨が降る夜だった。

駅近くのガード下、道の傍らにうずくまっている男がいた。

そこは、昼間からホームレスがたむろっている場所。
いつもなら気にとめることもない日常の風景。
足早に通り過ぎようとして、何かがひっかかり、足を止める。

呼吸が。

男の呼吸がおかしかった。

心臓発作なのか、息が止まりかけてた。


なんでそんなことに気が付いてしまうんだろう?
気付かなければ、黙って通り過ぎていけたのに。


「救急車呼んでください!」


周囲に怒鳴り、男を仰向けに寝かせて、心臓マッサージを始めた。
風呂に入っていない人特有の体臭が臭う。
ほとんど食べていないのだろう、痩せてガリガリの体。
顔は。
思ったより若いのかもしれない。
骨格は整って見える。
でも、肌はボロボロだったし、厚めの唇もひび割れている。
髪はざんばら。
ヒゲも伸び放題。

助けは何分で来るかな。
30分以上は続けられない。
間に合わなくても誰のせいでもない、と自分に言い聞かせた。







病院で意識を取り戻した男は、何を聞かれても答えなかった。
切れ長の目は、充血している。
最初は耳が聞こえないのかと思い、耳元で大声を立てる。
うるさそうに眉をひそめた様子から、聞こえていると知る。


所持品は、音叉(おんさ)ひとつだけ。
なんで音叉なんか持ってるんだろう。
財布も携帯もない。
着ているものは、上下バラバラのスウェットで、拾ったものかもしれなかった。
下着は履いていなかった。
体に異常がないか調べる為に病院の衣服に着替えさせられる。

ぼくは、搬送を依頼した責任から、病院の指示があるまで帰れない。
病院は、警察に連絡した。
このままじゃ、費用は誰が払うのかわからなかったからだ。
男は、警察の制服を見て、何かを諦めたようすだった。
静かに涙を流したのを見て、犯罪者を疑う。

いずれにしても男は、相当体が弱ってるから、すぐに退院はさせられないだろう。
男の処遇をどうするかは、役所が決める。


簡単な調書を取られ、連絡先を置いて、ようやく解放された。
ぼくは男のことを忘れて、日常に戻る。







ぼくは中川勝就。

銀行員をしている。
融資担当で、毎日、有用な企業を見つけて、億のお金を貸すのが仕事だ。


10日ほど経って、警察から連絡が入る。
男が病院からいなくなったという。
見かけたら連絡することを約束した。



それから、街中で浮浪者みたいな人を見つけると、思わず凝視するようになった。

ちゃんと食べているのだろうか。
弱って抵抗力を失った体は、いろんな病気を拾うだろう。
関係ない赤の他人だが、妙にひっかかった。
でもきっと、もうこの街にはいない気がした。





そこから駅でよっつ。
お客さんのところを訪問した帰り。
サンドイッチを食べようと、近くの大きな公園に寄った。

そこのベンチに、男が寝ていた。

病院着は脱いで、また適当なものを着ていた。

伸びっぱなしの髪は、病院で切られたのだろう、短くなっていた。
ひげはまた伸びている。

忘れない、不健康そうな男の顔。



ぼくは自販機でみかんジュースを買った。


「こんにちは」


男は答えない。

ぼくは冷たいジュースを男の手に当てて、もう一度声をかけた。

男は目を開け、ぼくを見た。
その表情から、ぼくを覚えていると確信する。


「病院出てったって聞きました。
みんな心配してますよ?」


男はたいぎそうに、起き上がる


「あの。
お世話になって、ありがとうございました。
でも。
連絡、しないでくれませんか……困るんで」


初めてしゃべった男の声は、低く、深く、丁寧で、心地良かった。
まともな人だとわかる。


自分の中に湧き上がる好奇心が抑えられない。


「毎日どこで寝てるんですか?」


男は困ったように目を伏せた。


「じゃあ、連絡しないんで」


男が視線を上げてぼくを見た。
ぼくは男の手にみかんジュースを押しつけて笑ってみせる。


「ぼくのうちで休みませんか?」






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