第7話

吉本総合病院 ③
118
2022/01/14 12:35





浦野は落ち込んでいた。


医師免許は持っているものの、一向に技術の上達を実感しない。
まだ見習いだから仕方ないが、早く華麗なメスさばきで、オペをこなしたかった。


実際は、皮付き肉相手に縫合の練習をし、患者様のシモの世話をし、傷の消毒をし、嘔吐した吐瀉(としゃ)物を処理する毎日。

人は強い痛みを感じると嘔吐する。
体が、治癒に全力を出す為に胃をカラにして、消化に力を使わないようにするのかな、と考える。
犬や猫も、具合が悪いと食事をしない。
食事ができれば、治ってきた証拠なのだ。
そんなことを、現場で実感していく。


それでもまだまだ何もできない自分を思い知らされる毎日。






「乳房再建?
それは形成外科でしょ?
オレは整形ですよ?
整形外科ってのは、骨!
体を作ってる骨格と筋肉なんですけど」


「それはわかってるよ、本田くん。
だから、執刀じゃなくて助手で付いてくれって話。
自分のオペだけど、経験してみないかなって」


本田は腕を組んでむうっとしていた。
指導医の田村は、そんな本田を笑って見ている。


「きみまだ後期研修でしょ。
経験はしといて損はないと思うんだよね」


「なんでオレなんです?」


「たぶんこの病院では、自分の次にきみが1番、縫合が綺麗で早いから」


浦野は、ベテラン医師の田村と、若手医師の本田のこのやりとりを黙って聞いていた。
内心わくわくしている。
アテンダントの本田がオペに入ったら、自分も確実に見学できる。
あわよくば、オペ室に入れてもらえるかもしれない。

呼吸器に興味がある浦野にとって、胸部のオペは何だって見ておきたい。
もちろん、乳房は肺とは関係ない組織だけれども。

それに、田村医師が本田の腕前を誉めてくれたのが嬉しかった。
ほんとに、本田の手術は、毎回ため息が出るほど美しい仕上がりだと、浦野は思っている。

旅先で怪我して縫われたという手足を見ると、たいていギザギザで、皮膚がツれてケロイド状になっていたりする。
もちろん、怪我の具合で仕方ないものも多いが、それだって、本田ならもっと最小限にできるのでは、と思わずにいられない。

大腿骨骨折のおばあちゃんの、ビス留め手術など、長さ約5センチ、髪の毛一筋ほどの手術痕しか残さず、見事というしか無かった。

浦野は、自分も本田のようになりたい、と強く思う。






「秀太ならなれるんちゃう?
心配いらんやろ」


病院の食堂で、遅目の昼食を摂りながら、浦野は先輩の中川に相談してみた。


「でも俺、おっちょこちょいでしょ?
つまんないミスやらかすから……」


「(笑)そうやなー、おまえ確かにー」


「笑わないで慰めてくださいよー。
先輩だって、ポンコツって言われてる
じゃないですかー」


「あほ、ボクがポンコツなんはプライベートだけやで。
仕事はできる男なんや」


「自分で言いますー?
そんなら俺だってー」


「完璧にしたいけどできない完璧主義者?」


「ひどっ」


中川は陽気に笑いながら、食べ終わった定食のトレーを下げに行った。


浦野は友達の佐野にLINEを送る。

『今日は定時で上がれるから、一緒にメシどう?』

ピロン、と返信が来る。

『おごり?』

『研修医は貧乏なんだよッ!
こないだ明細見せたじゃん。
20万無いんだからね』

『じゃー割り勘なー』





浦野は佐野とふたりで見つけた、焼き豚屋で待ち合わせた。
鳥のかわりに豚肉を使っているそこは、佐野が勤めている消防署近くにあった。
小じんまりとした店だったが、安くて美味くて、ボリュームもある。
ふたりは串を10本と、大根サラダを頼む。
佐野はサワーを、飲めない浦野はコーラで乾杯する。
後で頼むお茶漬けがまた旨い。


どちらからともなく、お互いの仕事について話し出した。

佐野は、大学卒業後すぐ消防署に務めたから、社会人としては、浦野より2年先輩だ。
本田医師に看護師にならないか、と誘われて、最初はキッパリ断っていたものの、最近は揺れている。
救急は、病院に搬送するまでが仕事で、その後は関われない。
どんなにどうなったか気になっても、割り切って気にしないのが仕事なのだ。
そこにストレスを感じる事がある。

浦野は、なかなかひとり立ちできないもどかしさを抱えている。

ふたりとも人命救助に人生を捧げていながら、手応えの薄さに戸惑っていた。


「僕、本田先生のお世話になろうかなぁ」


「いいんじゃない!
向いてると思うよ、看護師!」


「俺、おまえが勉強してんの見てて、医療系やだって思ったのになぁ。
迷うなぁ」


「看護師、年収も悪くないし、1番患者様を支える立場にいるから、医師より現場にいる感じもするよ」


「おまえはどうなの?」


「俺ねえ。
我ながら、センスはあると思うのよ。
でもイマイチ自信が持てないっていうかさー。
圧倒的にまだまだなんだよなー」


「やっぱシミュレーションやったりすんの?」


「もちろんやるよー。
でも映像とナマは違うのよー。
臓器の形も人によって微妙に違うしさー」


ふたりは、焼き豚の串を持ってかぶりつく。


「……頑張るしかないよな、僕たち」


「うん」


「ッシ、可愛い女の子にモテた話聞く?」


「えー?
悔しいから、聞かなーい」


ふたり笑い合った。
将来に対してそれぞれ、熱いものを胸に秘めて。







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