第9話

COLD CASE ある未解決事件②
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2022/05/25 23:01




ぼくはまず、男に風呂を使わせた。
洗ってやる為に一緒に入ろうとしたが、どんなに痩せてても、成人男性ふたりでユニットバスは、狭い。

男は、


「自分、で。
洗える、から」


という。

信じてなかったが、野良犬を洗ってやるのとはわけが違う。

羞恥心があるなら、精神はまだまともだ。

ぼくは、ぬるめに、40度設定でバスタブにお湯を張った。


「洋式に、中で体洗っていいから、出る時お湯抜いて出て?」


シャンプーや、ボディソープを示し、タオルを渡す。
洗濯済みの清潔なバスタオルを外に置いた。

男が体を洗っている間に、着替えを用意する。
ストックの未使用の下着、洗ったTシャツ、ハーフパンツ。
少し肌寒いから、カーディガンを羽織ってもらおう。
冷えた体には靴下もいる。

ザアザアと音がする。
シャワーを使ってるんだろう。

ぼくは温かな食事、って考えて、卵おじやを作る。
残りご飯と適当な野菜のみじん切りを出汁で煮て醤油で味付け、卵を落とす。
ネギもニラも無かったけど、のりをむしって散らした。
まあこんなもんか。



男が出てきた。
ふらふらしながらバスタオルで頭と体を拭く。
着替えを見て、一瞬ためらってから、手を伸ばした。

着替え終わると、脱いだ服の中を探る。
例の音叉を取り出し、ぎゅっと握って、ハーパンのポケットにしまった。

いったい何だろう?
大事なものだということは伝わる。


「おじや作ったけど。
食べられる?」


男が驚いた顔でぼくを見た。

清潔なようすになると、目は大きくは無いが、案外イケてるシャープな顔。
思ってたよりずっと若い。
ぼくと同じくらいか?


「ぼくは、中川勝就っていいます。
良かったら名前、教えてもらえませんか?」


「なか、がわ、くん」


「はい」


「あ、」


「あなたのことは、なんて呼べばいいですか?」


「……ハ、ハルオ」


「春生まれなんですか?
苗字は?」


「……、……」


痛そうな顔をして黙ってしまう。
ぼくは聞くのを諦めて、とにかく食べてもらうことにする。








男は、ものを食べると下痢をする。
ずっとお腹が痛いようだった。
絶対どこか病気だ。
入院させた病院に連れてった方がいい。
あの時、なんらかの検査はしたはずだ。


「あのね、ハルオさん」


ぼくは、男のひげを剃ってやり、アフターシェーブローションを使う。
毎日のお風呂や肌にクリームを塗ることで、だいぶ小ざっぱりとしてきた。

名前は絶対偽名だろう。


「このままにしとく事はできないですよ。
病院に行く為にも、警察に連絡していいですか?」


「……おかね、無いし」


男は首を左右に動かした。


「おれ、は、もう……」


「死んでもいい?」


何にこんなに傷付いてるんだろう?
家族は、友人は、仕事は?
生きたいと願う原動力になるものは、ひとつも無いと言うのか?


「ぼくは嫌です。
たとえ死ぬのだとしても、精一杯あらがって欲しい。
そういうぼくと関わってしまったのも運命だって思いませんか?」


男はぼくを見つめて苦く笑った。


「ナカガワさん、カッコよ」


「良く言われます(笑)」


「そんな、人がなんで。
オレなんか、
かまうんだ?」


「わかりません。
でも関わっちゃったから、もう」


自分でも本当にわからない。
こんな、縁もゆかりも無いホームレスの男を、なんで無視できないんだろう。
出勤すると、いなくなってるんじゃないか、気になってしまう。
帰って施錠を確認するとホッとする。


「黙って出て行かないでくださいね」


って言うと、


「鍵がないから。
部屋開けっ放しにできないよ」


なんてまともな感覚。
おまけに責任感も強いことがわかる。


「部屋には現金も装飾品も、カネ目のものなんか置いてないでしょ?」


昔と違って、保険証券や通帳など、資産を示す紙ものなど何も無い。
今は何でもネットだから。
でも男は首を振る。


「この部屋、テレビもパソコンも、Blu-rayやゲーム機とか、お金になるものがあるから」








アッという間に1週間が過ぎた。
男の下痢は続いて、心配していた矢先、仕事から帰ったらトイレで倒れているのを発見した。

便器の中には鮮血。
大腸がん?

すぐ救急車を呼び、警察へ連絡する。






佐野と名乗る若い警察官に、


「見つけたらすぐ連絡してって言ったでしょ?」


と怒られる。


「彼は、記憶喪失みたいで、身元引受け人もわからないんです。
戸籍も住所も無いから、何もしてあげられない。
家裁に連携して、戸籍を取って、そこから生活保護申請です」


「ぼくができることは?」


佐野さんは警帽を被った頭を振った。

日本は全戸籍制を取っている。
あらゆる福祉サービスは、住所にフックのように連結しているから、住所を失った途端に、行政のサービスから漏れてしまう。

姓名も、誕生日も、何もわからない病気の男。


「ぼく、仕事はちゃんとしてます。
身元引受け人にもなりますよ。
なんなら、扶養に入れてもいいです」


佐野さんは困った顔をした。


「扶養、って、中川さん。
男同士で籍入れるなんてできないから無理ですよ。
せいぜい部屋を貸す、大家になって、彼を店子にするぐらいです。
でもなんでそんな面倒、背負おうとするんです?
家族や恋人、いるんでしょ?
反対されないんですか?」


恋人、は、もうしばらくいなかった。

仕事がキツ過ぎて、余裕が無かった。
行内昇格試験が毎月あり、6個受かるとようやく、副支店長候補への道が開ける。
次は、副支店長試験だ。
行内の営業成績も必要で、毎月毎月ポイントが計算される。
だからみんな、大学から付き合ってる彼女がいるのでもなきゃ、職場恋愛か紹介か。
30歳半ばにならなきゃ結婚考える余裕ができない。


それなのに、こんな男を拾ったなんて、家族は当然反対するだろう。


でも、理性とは別に、感情が。

男を見捨てるのは嫌だった。







男は、栄養失調から、多臓器不全を起こしていたが、深刻なのは、潰瘍性大腸炎だった。
大腸がただれて出血し、穴が開きそうになっているらしい。
そのせいで便が作られない。

人間は、何も食べなくても、細胞が絶えず新しく作られる。
古い細胞は、便となって排出される。
その機能が壊れている。

点滴と投薬は、一生続くという。
でも。


「完治はしませんが、寛解(かんかい)はします。
女性なら赤ちゃんも産めます。
男性も、性行為可能です」


「良くなるんですね?」


医師はうなずいた。






病室へ行くと、男は起きていた。
青白い顔で横たわり、黙ってぼくを見返してきた。

怒鳴りたい気持ちになって口を開き、でもかわいそうで、思わず強い口調で


「にゃー!」


と叱る。

男はびっくりした顔をして、目を伏せ、


「……にゃぁ」


と答えた。

それが、ごめん、と言ってるようで、つい、「言うこと聞かなきゃだめ、わかった?」って気持ちで、


「にゃにゃにゃにゃー、にゃあ、にゃにゃ?」


と返す。

男の目は真ん丸くなった。

そして、次に吹き出して笑った。


初めての温かな笑顔だった。














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