──某国 会員制異業種交流会の会場にて──
偽造した会員証を使い、パーティ会場に潜入した彼女は、すぐにトイレに向かった。
中に誰もいないことを確認し、小声で報告する。
バカ正直に「○○に潜入成功」と報告しないのは、周囲の人間に聞かれたときや、盗聴の可能性を想定している。
ロミオ、タンゴはいわゆる符牒で、「ラブルはT地点に到着した」ことを表している。
彼女は、A国の秘密保安組織「α機関」に所属する諜報員だ。
コードネームは、ラブル。
通信相手のノワールは、α機関の仲間だ。
かけているメガネのスイッチを入れ、録画モードにする。
カメラ機能だけでなく、通信機能も兼ね備えた最新の諜報グッズだ。
骨伝導イヤホンの機能もあるため、メガネをかけているだけで証拠の採取、外部との通信を両立できる優れものである。
会場は広かった。
有名スポーツ選手、新興企業のCEO、財界の重鎮、某国男性アイドルグループのメンバー……有名人ばかりだ。
その中に──。
ラブルのメガネを介して会場内を見ているノワールがいった。
ターゲットである、A国の国防情報局の現役参謀長だ。
彼は今、指名手配中のテロリストと談笑している。
ラブルは首に提げている、ペンダント型ガンマイクをターゲットに向けた。
これは向けた先にある音だけを拾うことのできる指向性マイクだ。
周囲には人がたくさんいるし、音楽も流れている。
だがこのマイクはそれらの雑音を排除し、ターゲットの会話だけを拾ってくれるのだ。
その音声から、彼らが武器取引の打ち合わせをしていることがわかった。
この映像と音声があれば、取引を、ひいてはテロを阻止することができる。
ラブルに話しかけてきたのは、某国男性アイドルグループのメンバーだった。
アイドルに興味はない。
しかし諜報活動においては、あらゆる情報が重要となる。
興味のないアイドルについても、一般的な知識は仕入れているのだ。
適当に雑談をして、折を見て離れようとしたのだが……。
目的は達成できたから、速やかに撤退したい。
だけどここで断るのは不自然だろう。
ラブルはメガネを外した。
このメガネは便利なグッズだが、機能性を重視した結果、デザインが酷い。
これをかけたままダンスしたら、悪目立ちしてしまうだろう。
メガネを外すと、シンは目を見張った。
素顔で諜報活動をすれば、次の仕事がしづらくなる。
ラブルの素顔を知るのは、組織の人間、その中でも一部だけだ。
よく「その美少女っぷりがもったいない」といわれることもある。
だけど変装が主体の諜報員にとって、いくら素顔がよくても意味はない。
ラブルは、シンと一緒にタンゴを踊った。
彼と身体を密着し、情熱的なステップを踏む。
彼のリードはとてもうまく、自然とリズムに乗ることができた。
シンはラブルの手の甲に優しくキスをした。
周囲から拍手が湧き上がる。
なんて心配をしつつ、ラブルは会場を去った。
──秘密保安組織「α機関」本部──
ラブルの持ち帰った情報は、無事に役立ったようだ。
ただ、報道はされず、秘密裏に処理されるはずだ。
諜報員の仕事は、基本的に表に出ることはない。
それが公になるのは、「失敗したとき」だけなのだ。
ボスは少し間を置き、ニヤリと笑みを浮かべた。
ラブルに与えられた、新たな任務は──
それはこれまでの人生でも類を見ない、意味不明な任務だった。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!
転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。