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第1話

ちょっとだけ、変わりたい日
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2025/10/28 04:07 更新
放課後の教室。
グラウンドからは賑やかな部活の声が聞こえてくる。
私は自分の席に座ったまま、今日返された定期テストの答案用紙を見つめて固まっていた。
ひな
ひな
……また平均以下。もう笑うしかない
千夏
千夏
全然笑えてないけど?
千夏がペンをくるくる回しながら覗き込んでくる。
赤い数字。57点。前より下がってる。
ひな
ひな
やっぱ私、向いてないんだよね。勉強とか
千夏
千夏
はいはい、出た。恒例の“向いてない宣言”
ひな
ひな
事実だもん
千夏は笑いながらも、私の筆箱を指先でつん、と押した。
千夏
千夏
ひな、そうやって自分をいじめるの、趣味?
言葉が軽いようで、どこか本気のトーンを混ぜてくるのが彼女らしい。
窓から見える空は、綺麗な夕焼けのオレンジ色。
机に反射する光を眺めながら、スマホを取り出す。
SNSの通知。ひとつ。
『数学の問題集、1冊解き終わった! ちょっと達成感』
——投稿者、先輩。
画面に映るその笑顔は、相変わらずキラキラまぶしい。
同じ部活だったあの人。同じ高校に通えたらいいな、なんて。
ひな
ひな
……ほんと、すごいよなぁ
千夏
千夏
先輩ってひなにとって恋愛対象ってより、推しなの? 両方?
ひな
ひな
……よくわかんない
だけど、私が頑張りたい理由は、先輩みたいになりたいから。
でも現実は——あこがれることすらできないくらい、遠い存在。
頑張ってる先輩の投稿をスクロールするたびに、自分の“何もできなさ”が浮き彫りになる。
追いかけたいのに、何をすればいいのかわからない。
まるで、走る前から諦める癖がついちゃったみたい。
ひな
ひな
ねぇ千夏、才能がないと努力しても無駄なのかな
千夏
千夏
無駄じゃないよ
ひな
ひな
でも、私、何やっても続かないし……
千夏
千夏
始める前からそんなこと言わないの。ひなが本気出すのは、これからでしょ?
千夏の言葉に、胸の奥がチクリとした。
そうか——私は、まだ“始めてもいなかった”んだ。
できない理由ばかり探して、最初の一歩を怖がってる。
千夏
千夏
駅前のさ、焼き鳥屋の隣に塾あるでしょ。うちのいとこが行ってるんだけど、なんかね、先生のことニックネームで呼ぶんだって
ひな
ひな
ニックネーム?
千夏
千夏
うん。あと授業の前に雑談してくれたり
ひな
ひな
……へぇ、なんか楽しそう
千夏
千夏
でしょ? だから私も今度体験授業行ってみようと思ってるんだけど、ひなもどう?
ひな
ひな
え、いや……私なんかが行ったって、迷惑かけそうだし
そう言ったとき、千夏の表情がほんの少し真面目になった。
千夏
千夏
ひな、自分のこと“なんか”って言うの、そろそろやめな
ひな
ひな
……
千夏
千夏
先輩が頑張ってるの見て焦るのも分かる。でも、ひなはひなでしょ
その言葉が、不意に刺さった。
“ひなはひな”。
そんな当たり前のこと、いつの間にか忘れてた。
私は誰かの後ろ姿ばかり見て、自分の足元を見ていなかったのかもしれない。
教室の時計の針がカチリと音を立てる。
窓の外では、部活帰りの声が風に流れていく。
中学2年の秋。
受験なんてまだ先だと思ってたのに、気づけば1年ちょっと先の話になってた。
時間って、思っているよりずっと早い。

家に帰って机に向かう。
ノートを開くと、インクがかすれてるページが目に留まる。
何度も「頑張る」って書いて、途中で消した跡。
……このまま終わらせたくない。
ひな
ひな
……よし
私は新しいページを開いて書いた。
“塾 体験授業”
書いた瞬間、胸の奥が少しだけ前を向いた気がした。
明日、千夏に話してみよう。
私も行ってみたいって。
ほんの少しの勇気で、何かが変わるなら。

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