第2話

“頑張りたい”って思えた場所
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2025/10/28 04:08 更新
一週間後。
千夏
千夏
よし、行こっか
ひな
ひな
ほんとに行くんだ……
千夏
千夏
ひなも行きたいって言ったじゃん
ひな
ひな
言ったけど、まさかこんなすぐとは思ってなくて……!
言い訳の途中で、千夏が笑う。
その笑顔を見て、ちょっとだけ肩の力が抜けた。
駅前の通りは、焼き鳥の匂いと人の声であふれている。
目当ての塾が入っているビルはすぐ見つかった。
千夏
千夏
入るよ?
ひな
ひな
うん……!
扉を開けた瞬間、教室の中から明るい声が響いた。
藤堂先生
藤堂先生
こんにちはー! 今日、体験のひなちゃんと千夏ちゃんだね?
私の名前が、初対面の人の口から出て、少しびっくりした。
でもその声は、まるで天気のいい日の風みたいに柔らかかった。
藤堂先生は背が高くて、笑うと目尻に小さな皺が寄る。
千夏
千夏
先生、ここ、うちのいとこが通ってるんです
藤堂先生
藤堂先生
ああ、ゆいちゃんだよね。いつもお菓子くれるんだ
千夏
千夏
そうなんですか? 塾に何しに来てるんだか……
藤堂先生
藤堂先生
楽しんできてくれるならそれが一番だよ
和やかに会話が続く横で、私は少しだけ緊張していた。
教室の壁には、模試の日程表が並んでいる。
棚の上には、先生おすすめの参考書や手書きのメッセージカードが置かれていて、“勉強の場所”なのに、不思議とほっとするあたたかさがあった。
藤堂先生
藤堂先生
改めまして、藤堂健司です。みんなからは“ケンティー”ってニックネームで呼ばれてます。ひなちゃんもニックネームでで呼んでほしいな
ひな
ひな
じゃあ……ケンティー、で
藤堂先生
藤堂先生
はい、ケンティーです。よろしく!
“先生”というより、“気さくなお兄さん”みたいな感じだ。
藤堂先生
藤堂先生
ひなちゃんは英語が苦手って聞いたけど、どのへんがややこしい感じ?
ひな
ひな
え、えっと……読むのは好きなんですけど、点が取れなくて
藤堂先生
藤堂先生
なるほど、“読む”と“解く”の間にギャップがあるわけだ
ひな
ひな
……たぶん、そうです
藤堂先生
藤堂先生
オッケー、読むのが好きならもう勝ったも同然だ
ひな
ひな
藤堂先生
藤堂先生
あ、でも手は抜かないよ。ちゃんと解くのも楽しめるようにサポートするから、安心して
先生が笑う。思わず私も、つられて笑ってしまった。
それだけで空気が一気に軽くなる。
──こんな感じ、初めてかもしれない。
学校では「間違えたら恥ずかしい」と思うのに、ここでは「間違えても大丈夫」って空気がある。
それが、なんだか心地よかった。
授業が始まると、先生はテンポよく話しながら、私のノートを覗き込んだ。
藤堂先生
藤堂先生
お、いいね!単語の意味は合ってる。でもね、“文の流れ”を見逃してるんだ。主語を見て、“この人が何してるのか”を考えるだけで、点数変わるよ
ひな
ひな
主語……
藤堂先生
藤堂先生
そう。英語って“誰が何をしたか”ゲームだから。ひなちゃん、探偵になったつもりで読んでごらん
“探偵になったつもりで”。
その言い方がなんだかおかしくて、肩の力が抜けた。
問題を解いて、丸をつけられて、また解いて。
気づいたら、時間があっという間に過ぎていた。
教室の時計の針が動くたび、心の中の霧が少しずつ晴れていくみたいだった。
藤堂先生
藤堂先生
いいね。授業の最初の時と顔が変わってる
ひな
ひな
え?
藤堂先生
藤堂先生
努力って、結果より先に表情に出るんだよ
胸の奥が一瞬、熱くなった。
そんなふうに言われたの、初めてだった。
なんだろう、この感覚。
頑張ることを、誰かがちゃんと見てくれてる──
そんな当たり前のことが、こんなにも救いになるなんて。
授業が終わり、千夏がノートを閉じながらニヤッと笑った。
千夏
千夏
ね、楽しかったでしょ
ひな
ひな
……うん、なんか、そうかも
千夏
千夏
入会する?
ひな
ひな
ま、待って! まだ心の準備が……!
千夏
千夏
うそうそ冗談。でも、入塾申込書、もらっとく?
ひな
ひな
……うん
外に出ると、風が夜に変わる前の匂いを運んできた。
空は群青で、街灯がぽつぽつと灯っている。
教室の中の明かりが、まだ少し見える。
その光が、胸の奥でぽうっと残った。
今日の私は、昨日よりも少し前を向いていた。
“また来たい”と思えた自分に、驚いている。
──もし、こんな気持ちが続いたら。
私、変われるのかもしれない。

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