リアムを先頭に、暗い暗い通路の中を進んでいく。明かりなど無い。足元くらいは見えるのは不幸中の幸いと言うべきか。
恐怖心がくすぶられる。誤魔化すように、私は口を開いた。
魔法使いの事でも聞けば良かったのに、私が思いついた質問はそれくらいだった。怖いと言ってリアムにしがみつく事が出来たら良いのに。そう考えられない程には余裕が無かった。
尤も、いくら親しくなりたいとはいえ、そんな距離感で接されるのもリアムは戸惑うだろうと思い留まったせいで余計に恐怖が倍増しているのだが。
リアムの表情は見えなかった。が、どこか苦々しい声色だった。
師匠からの知識が役立ったにも関わらず、リアムはどこか嫌そうな声色だ。…ロクな思い出が無いんだろうな。そっとしておこう。
慌てて話題を変えようと試みる。今日は本当に私の口が回る回る。
まあ…そりゃそうか。数年前から旅してるってなったら、そもそもそのお師匠様が許可出さなさそうだ。
ただ、と私は挟む。
烏羽のような艶やかな黒色も、夕焼けのように美しい赤色も。
色んな国の人種が混ざって出来た集合体というならば、少し羨ましい気もする。
驚愕する私の声が、狭い通路の中反響する。
意外だ、と言いたげだ。…そりゃそうだ。普通の人なら寧ろ恐れ疎い、畏怖する。魔法使いによる悪行を散々言い聞かされているからだ。
悪い子は魔法使いに連れ去られて、悪魔の実験台にされるよ、だなんて事も言い聞かされる。それを聞いた子どもは鵜呑みにして、やがて彼らが大人になった時も自分たちの子どもに言い聞かせる。そんな繰り返しで、国のほとんどの人間は魔法使いは悪である、という先入観を持った。
実際に会った事も無いにも関わらず。
でも私の祖母は、魔法使いの悪い噂は話さなかった。寧ろ、ステキな存在だと謳った。私が聞いた魔法使いの悪い噂は、たった一握りの者だけであって、善い魔法使いだってたくさんいると。ただ悪行の方が目立っただけで。
人間だって悪い人もいれば、善い人だっている。だというのに善い人間を見ずに悪い人間を見ただけで“人間は全員悪いヤツ”と一括りにするのと一緒だ。魔法使いにだって善し悪しはいる筈。
リアムだって悪い人では無さそうなのだから。
あはは、と笑い飛ばす。リアムは呆れたように溜息を吐いた。
あの時は奇跡的に助かったけど、川の流れが緩やかになっている場合以外はもう川に入りたく無い。こりごりだ。今となっては笑い話だけども。
諦めたようにリアムは吐き捨てた。
急に立ち止まったリアムに驚きながらも、リアムの前にある、この寂しい空間には似つかわしくない白い上品な扉を見つける。ドアノブは純金製のようだ。光が無いので金属特有の輝きは失せている。
リアムと顔を見合わせ、コクリと頷いた。
…分からない事が多い以上、私達は進むしか無い。
リアムは扉を睨み見ながら、濁りが一点も無い金色のドアノブに手を掛けた。
ドアノブを捻る古めかしい音と同時に、私の耳にパチパチという耳障りな音が頭の中に響く。不快なその音に、私は嫌そうに顔を顰めた。
扉の向こうの明かりに、思わず手で光を遮った。向こうは多くの人影にまみれていた。
そう、影だ。
人の影のような黒い塊が、あちこちにいる。人の形をしているが、人では無い。それらは談笑していたり、テーブルの上にある食べ物を口に含んだりとまるでお茶会をしているようだった。
どこかの庭で位の高い都の者達がティーパーティを開いている、といった具合だろう。…もっとも、その都の者と思しき人物らは、茶会に相応しい服装はおろか顔すら覆い隠す程の黒い影によって形成されているが。
今までだったら人気なんてあまり無かった。にも関わらずここにはそれなりの人数がいる。しかも人間では無い。明らかに。
何より、黒い影のような姿形をした非科学的なものなんて見た事も聞いた事も無い。
影達は入ってきた私達に気にも留めないで、楽しんでいるようだった。声は聞こえるので幻覚を見ているわけでも無いのだろう。
扉は案外呆気なく見つかった。どうするかしばらく迷った後、取り敢えず扉のお題だけ確認しようとする。
影達を避けて進むと、扉には白い文字でお題が描かれていた。
“理ある魂こそここを開く事ができる”
試しに私がガチャガチャ、とドアノブを回そうとするとビクともしなかった。今回もミッションをこなせという事なのだろう。
試しに扉から1番近い、白い上品な椅子に着席している女性の影に話しかけてみることにした。
女性は私達に気付くと、ニコリと微笑んだ。
私の言葉を遮るように、女性は鈴のような声で言った。紡ごうと思っていた言葉はかき消えた。シツレイな人だな、とむすっとして再び声をかけようとすると、リアムに制止される。
女性はリアムの事を見もせず、だんまりを決め込んだままだった。…恐らくはここで頷かないと、彼女は私達に答えてはくれない。
睨み合いを続けていると、やがてリアムは面倒臭そうに口を開いた。他の人に話を聞いてみればいいのにと思ったが、他の影達も私達をいない者として無視を決め込んでいる。視線すら向けない。聞いても意味無いように思えてきた。
相談した末、リアムは貴婦人と向き合う。
どうやら違ったらしい。ぶっぶー、と指でばってんじるしを作った。
私が間違えてしばらくも経たない内、思考にのめり込んでいたリアムが答えた。リアムがイチジクだと言うと、気のせいか女性は息を漏らした。
思ったよりくだらなかった!
華のように可憐な女性の口からまさかダジャレの問題が出てくるとは思わなかったので、思わず声を荒げた。いや、だってダジャレって聞いたことあるぞ。お婆ちゃんによると東洋のくだらなくて寒い言葉遊びの一種だって。お爺ちゃんは好きだったようだけど。
気のせいか、辺りの温度が少し下がったような気がしてきた。成る程、これが東洋で有名なサムイギャグってやつか。
女性は私達の正解を祝っているのか、拍手してくれた。
女性は手の甲を使って拍手していた。所謂裏拍手だ。その仕草に、心のどこかで何か引っかかる。
まあ…きっと気のせいだろう。
というかリアム、よくこんな問題が分かったなぁ。もしかしてリアムもダジャレとか嗜んだ事でもあるのだろうか。東洋に行った事は無いと言っていたけれど。
ガサゴソ、と女性は自分の懐を漁ると、クッキーの入った袋を差し出した。
リアムが目で私が受け取るよう訴えかけてきたので、リアムの代わりに受け取ろうとする。…女性は気のせいか、笑みを深めているような気がした。
焼き菓子ですね、と最後までは言えなかった。
女性の指先と、私の指先が微かに触れる。その瞬間、私の体のそこかしこから嫌な汗が流れた。
リアムが私を見て目を見張らせる。私はリアムに言葉を返す余裕を無くしていた。
心臓の鼓動が煩い。身体中の血が脈打つ。冷や汗が、止まらない。思考が真っ白に染まっていく。視界は血に塗れた。耳鳴りが騒がしい。
リアムが私の名前を呼んでいる。…気がする。分からない。彼が私の所に寄ってきた気がする。あれ、君はどこにいるの?
胸が痛み出してきた。息が上手くできない。視界がブレてきた。平衡感覚が掴めなくなる。私はちゃんと自分の足で立っている?
リアムが声を荒げながら、私に手を伸ばす。彼が本気で取り乱しているところを見るのは初めてだ。真紅色の瞳の瞳孔を開かせ、切羽詰まった表情で慌てている。
声が震える。胸の痛みは治るどころか悪化していっている。まるで誰かに心臓を鷲掴みされているようだ。胸を抑え込むが、当然治る訳もない。全身の産毛が逆立つ。このままでは、危ない。この先に待ち受けているのはきっと、誰もが人生の最期に味わう…
__死
女性は呑気に話す。その声はやけに私の耳に響いた。
…“生者”?まさか、この女性は、
迫り来る地面。衝撃を感じる前に、私の瞼は閉じられる。朦朧としていた意識が微睡みの中へと誘われた。彼は、リアムは、無事でいるだろうか。無事でいることを願うばかりだ。
その内、私の世界から音も消えた。
はずだった。
パチパチパチ、と嫌な音が意識の隅で鳴る。
不快だ。不愉快だ。厭らしい。煩わしい。鬱陶しい。
頭を抱えて、私は蹲る。
うるさい。ウルサイ。煩い。五月蝿い。
その音は、確かに私の本能に警鐘を鳴らすものだった。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!