ぱちぱちぱち。
未だにあの耳障りな音は、私の意識からは消えてくれなかった。
でも、さっきの火事の一件で分かった。
あの音はトラウマとして私の意識に染み付いていた。
少し、眩しい。
意識が半分程浮上して思ったことはそれだった。ああ、もしかして朝なのだろうか。起きて、朝ご飯を食べよう。
そう思って、目を開ける。…最初に目に入った光景は、私の見知ったものとは程遠い天井だった。
そうだ、思い出した。ここは私の家じゃない。そういえば私、不思議な空間に閉じ込められてたんだった。そして豪華の間で火事になったところを、なんとかリアムと逃げ延びて…
気付けば反射的に飛び起きて、辺りを見渡した。あの後どうなったのだろうか。私は途中で意識を失ったせいで、リアムがどうなったのかもここがどこかも分からない。
声を荒げ、リアムを探した。でも、どこにも黒いコートは見当たらなかった。
黒髪は、いたけども。
何でこの人形がいるんだろう。豪華の間にはいなかった筈なのに…
…この人形に聞いても仕方ないか。見たところ決まった言葉以外話さないようだし。
一瞬、最悪の光景が脳裏に思い浮かぶ。リアムの終焉を。
私はリアムの死をきっぱりと否定した。彼は生きている筈。この部屋にいないだけで。
部屋にある唯一の出入り口である扉を睨み、歩み寄る。開く事だけをただただ願って、私はドアノブを捻る。…鍵はかかっていなかった。
私は内心ホッとしながら、扉を開けようと押した。
開かない。ビクともしない。
扉には指令も何も無い。なら何故動かないのだろう。
不意に、扉の外から足音が聞こえる。誰かの気配もした。
誰か来る。
コツコツ、と焦らすようにこちらに向かってくる足音に、緊張する。この足音は、大丈夫?敵ではない?
分からない。リアムだったらいいけど、この空間にはこの世の者ではない輩までいる。もしまた私があの影の貴婦人の時のように殺されたら、どうしよう。
それでも完全な判断は出来ない。念の為扉から一歩二歩引いて、私は扉を睨んだ。
ドアノブが、捻られる。キィ、と古めかしい音を立てた。
そして扉は、開かれた。
入ってきたのはリアムだった。…良かった。変な輩じゃなくて。心配が杞憂で終わった事にホッとし、私は肩の力を抜いた。
リアムは呆れたように肩をすくめている。一見、愛想が微塵も感じられないこの態度…確かに本物のリアムだ。
そういえば私、ずっとドアを押してた気がする。ずっとここまで押す扉だったから、今回もてっきりそうなのかと…だからか。
試しに扉を内側に開くと、すんなり開いた。…急にやるせなさを感じた。張り巡らせていた気が抜ける。倒れるようにベッドに勢いよく座り込む。
館か。…そんな所に今いるのか。確かにこの部屋を見渡せばどこかの屋敷の客室のようで、一見常識外れなカラクリは見つからない。
確か…東洋のある国では死者の世界のことだっけか。…嫌な名前の間だな。
…何事なの?
次の部屋…確か地図によると、主従の間だっけか。そしてその次の終わりの間で地図は途切れている。この先にもまだ部屋はあるのか、それともここで奇妙な空間から出られるのか。後者の方だと良いんだけど。疲れてきた。
リアムはふぅ、と一息つくと近くにあった木製の椅子に腰掛けて、肘掛けに腕を置いて頬杖をついた。
休むとは言っていたが、確かにリアムに動作には所々疲労の色が見える。
豪華の間。それを聞いて一瞬身構えた。
豪華の間。…基、業火の間。
どうしていきなり部屋が燃えたのか分からない。けれど原因不明の出火により私達は命を落としかけた。リアムがいなければ、今頃私はお空の上だろう。
リアムは面倒そうにため息を吐くと、目を閉じた。
リアムは首肯した。
話によると、この館の入り口から通路を歩いていくと、豪華の間のロフトの窓に辿り着いたらしい。どこと繋がっているんだ、と思ってしまった私は当然の反応だと思う。
…とても今更な話だがこの謎の空間、どうなっているんだろう。家の窓から出たと思ったら館だし。
しかも一体何なんだ。謎の業火に見舞われて命からがら逃げ出したと思ったら、死人達がパーティを開いている館だし。豪華の間の部屋は燃え尽きたどころか元通りだし。
不可思議現象しか起こっていない。確かに不思議や神秘は好奇心の対象ではあるが、こうも連続で起こったり死にかけたりすると精神的に参る。
そこまで現状や館について話すと、リアムは欠伸をして目を擦り机に伏せた。
こんな所で眠れるのか、と感心しているとそう多くも経たない内に静かな寝息が聞こえてきた。寝るの早いな…それ程疲れていたということなのだろう。彼に私を運んでもらったり館の探索を任せたりなどしたらそりゃ疲れる。しかも火事の後で。
…私、もしかしなくとも足手まといだ。なんだか罪悪感が湧く。
目を瞑れば脳裏に蘇るのはゆらゆら燃える炎とパチパチ燃える音。鮮明に焼き付いていた。それこそ今でも思い出すだけで震えそうなくらい。確かに私達はあの場で死にかけていた。
思えばこの謎の空間はは進めば進む程死に近くなった。極楽の間では死の疑似体験をしたし。
本当にあの時死んだのだろうか。そもそも私が見たあれはなんだったのだろうか。淑やかな貴婦人に触れた瞬間に感じた死の波動と呼ぶものであろうあの気配は、どうにも幻では片付けられない程に今でも覚えている。脳が、神経が、心が、拒絶していた。私の全てがアレを拒んでいた。
でも今私が呼吸をして、ここに立っている事が私が死んでいないことを証明している。その事実が更に気味悪さに拍車をかけ、私の不安を煽っていた。
本当はこの静寂の時間すら恐ろしい。心細さを加速させる。なんならリアムを起こしたいが生憎リアムは疲れている。
私もこの館を探索しよう。何かこの館を脱出する術やヒントを見つけられるかもしれない。身体がとても怠く感じるので、豪華の間での一件の後遺症を差し引いても私はかなり眠っていたのだろう。
焦りが私を急かす。始めに、この部屋にあるものから調べよう。もう既にリアムが目を通しているかもしれないけれど。
ベッドや椅子の他に、この部屋には勉強机やその上に何かの資料本などが散らばっている。壁にはヘンテコな掛け時計があった。時計は反時計回りに時を刻んでいる。おかしな時計だ。
首を傾げながら私は、机の上に無造作に乗っている本を一冊手に取った。
ここ最近で見たことあるような知らない文字がずらっと並んでいるのを見て、私はすぐに本に目を通すのをやめた。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!