扉をくぐると、特にこれといって特徴は無い質素な部屋に着いた。ベッド、タンス、テーブル、イス。生活感に溢れている。埃も塵も無いのでまるで人が使っていた部屋のよう。そういえばさっきの本棚だらけの部屋もそうだった。特に何も違和感は感じない普通の部屋だ。
ただ一人を除いて。
ベッドでは無く、床に誰か転がっている。黒いコートにはねっ毛の多い黒髪。私達の村はおろか、都でも見かけないような格好や髪色をしている。
若干の躊躇いはあったが、起こしてみることにした。
返事は無い。
ゆさゆさ、と体を揺さぶる。最初は遠慮がちに揺らしていたが、中々目を覚まさないもので最終的には加減も忘れた。
その甲斐あってか、その人は薄っすらと目を開けた。
低い寝起き声だ。私を確認すると、その人は顔を顰めた。
威嚇する猫のような対応をされたものだから、思わず自分でもぶっきらぼうに答えてしまった。その人は私の顔をまじまじと見つめると、起き上がる。
あ、この人、目が赤い。赤目なんて珍しい。黒髪赤目って私達のいた国じゃまず見るような組み合わせじゃない。
よろしく、と手を差し伸べるとリアムはその手をジッと見つめるだけで、握手してこなかった。
この人すっごく無愛想なのね。
リアムは状況を飲み込めていないらしく、辺りを見渡した。
成る程。リアムもこの場所は知らないらしい。ここの住民かと思ったけど…そもそも、ベッドじゃなくて床に倒れ込んでいたって時点で普通では無いか。
リアムは何か考え事をしているのか、顎に手を添えて俯いた。やがて、その表情は困惑の色に染まる。
どうやらこの少年も私と同様、記憶喪失らしい。成る程、今の私と似た境遇というわけか。
リアムはしばらく間を置くと、黙って頷いた。
さっきくぐった扉から真正面に位置する、5メートル先にあるこの部屋の出口を見やる。
扉には大きく、文字が書かれている。今回は謎の窪みも鍵穴も存在しない。ただ白い扉によく映える黒い文字で、部屋を出る条件が前回同様書かれていた。
私もそう思う。
リアムは部屋の右半分を。私は左半分を手分けして探索する事にした。
こちらにあるのは、テーブルとイスとタンス。リアムの方にあるのは、ベッドとクローゼットと食器棚。
探索開始から数分。私はテーブルの上からは木のブロックのおもちゃ2つと、タンスから押せば鳴るトカゲのオモチャ…それも割と大きめのやつが手に入った。
タンスの中身は、私とリアムくらい余裕で入るくらいの大きさであるにも関わらずトカゲのおもちゃしか入ってなかった。あと何故か底に謎の長方形の窪みがある。
アイテムが幼児用のオモチャしか無かったという事実に、こんなんでどうやってリアムの記憶の手がかりになったり扉の外に行くヒントになったりするんだよ、と半ば八つ当たり感覚でギュッとトカゲのオモチャを握りつぶすと、“ぷきゅぺぇ”と変な音が鳴った。探索に夢中になっているリアムがその音に少し肩を跳ねさせこちらを振り返る。
リアムに見せびらかされた本を見ると、どれもこれも読めない。異国語だろうか。どう見ても私達の国の言葉では無い。
タンスを開けて、中にある長方形型の窪みを見せる。別に、特に意味は無さそうなのだけど…
ほれ、とリアムは試しに手に持っている変な模様の木のブロックを窪みに置く。
確かに、ピッタリだ。幅は一緒。足りないスペースも、残りの手持ちの3つのブロックを使えば補える。
コトリ、と残り3つも置く。
…何も起こらなかった。
さて、手詰まりというわけだ。
でもリアムはまだ諦めていないのか、ブロックの位置を変えたり窪みから外したりしている。
確かに一理ある。
リアムはそれだけ言うと、作業に集中する為か黙り込んだ。私も私で何か、手掛かりを探そう。
手元にあるのは、音の鳴るトカゲのオモチャとカッターナイフ。カッターナイフの方は切れ味抜群で、ギラリと銀色に鈍く光っている。何かを切るのに使えそうだ。
で、トカゲのオモチャ…
何の変哲も無い、ただのオモチャだ。裏返したり隅々まで見たりするが、気になる箇所は無い。人差し指と親指を挟んで、音を鳴らしてみる。
ぷぴぃ。
思わず笑っちゃいそうになったが、顔を顰めたリアムに睨まれて思わず顔が強張る。
…あれ?でもなんかこの音…おかしいな。こもっているというか、なんというか…上手く音が外に出ていないというか。
もう一度、今度は五本指でトカゲの腹を押す。
ぷぴゃー。
コクリと頷いて、もう一度トカゲを握り潰す。再度気が抜けるような音が辺りに響いて、木霊した。
リアムは作業の手を遅くさせ、黙り込んだ。何か考えているのだろう。私も何か考えなければ。無意識に首を捻ってトカゲのオモチャをまじまじと眺める。
数刻程経った後、リアムは単純作業を中止させて口を開いた。
言われた通りカッターナイフを取り出して、トカゲの腹目掛けて突き刺し、そのままゆっくりと刃を滑らせる。5センチ程切り込みを入れると、中身を確認出来るようになった。
無理矢理こじ開けて、中に何かあるのか探る。一箇所、他の場所と違う感触があったのに気付く。
取り出してみると、何かのメモのようだった。中央には見覚えのある4つの模様が並んでいる。
私が、この紙に描かれている模様があの4つの木のブロックに描かれている模様だと気付く前に、リアムは身を翻してさっきの窪みで紙の順番通りに木のブロックを並べる。
しかし、待てど暮らせど部屋には鍵の開いた音が響くことも、部屋が変化する事も無かった。
答えが外れていたのかもしれない。リアムは今度は逆の順番で積み木のブロックを並べるが、何も起こらない。
もう手は尽くした。他に出来る事は、前の部屋に戻って本を読み漁り、脱出の手口をどうにかして探すくらい。でもそんな事をしてたら一体、どれ程の時間を必要とするか。そもそもリアムは文字が読めるのだろうか。身なりは良いとは言えそうに無いが。読めなかったら私が一人で探さなきゃいけなくなり、苦労が強いられてしまう事は想像しやすい。
急に私に呼びかけるリアム。その言葉はどこか強張っているように感じた。表情には出していないが、彼は動揺しているようだ。
リアムが見ているらしいテーブルの上を見てみると、一枚の紙が。
ホントだ。確かにこんな物、さっきまで見なかった。
私達がここにいる理由が分からない。もしかしたら、誘拐されたのかもしれない。でもそうだとしたら、犯人の目的は一体何だろう。
この奇妙な部屋は、一体。まるで何もかもが魔法で出来ているよう…
考え事をしていると、すぐにリアムに引き込まれた。慌てて紙の内容を確認すると、確かに何かの歌らしい。歌詞がズラリと並んでいた。
おばあちゃんが昔作ったという歌。それにしても、他に知っている人がいるだなんて驚きだ。この曲は村のみんなはおろか、村に来る旅人達も知らないようなのだから。
思わず心の中ではい?と訊ね返した。
見知らぬ少年の前で歌え、と。
複雑な心境になったものの、他に出来る事は何も無い。
私は大きく息を吸い込んで、一字一句紙に書かれている歌詞を歌い上げた。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!