ブーツに着いた草や土を払い、探し求めていた扉の前に立つ。ここまで来るのに体感で数時間ほど。謎の人物に夢中になって獣道から外れたせいで、道という道が見つからなかった為、結構掛かった。
リアムに言われて扉の文字を読むと、さっきまでの部屋とは雰囲気が違った。
“迷子の子猫へ。
先には進める。
だがもう2度と迷いたくないのなら、あの日のお前の夢の場所へ向かえ。
そこには夢への案内図がある。”
先に進めると書いてあったように、ドアノブを捻って押すと先への部屋が目に入った。次の部屋も何やら人が住んでいたような部屋に見える。
でも…
黒字で書かれたこの文章が気になる。リアムも私と同様だったのか、思考を巡らせているようで顎に手を添え沈黙している。考え事をする時顎に手を添える癖があるのか。
リアムが不意に口を開く。その一語は聞こえたが、その後はモゴモゴと口を動かすだけで何を言っているのかわからない。
そうとも違うとも言わない。微妙なライン。リアムは返答に困っているようだった。…どう見ても、何かあるような反応だ。
リアムはどうやら私に対して隠し事が多いようだ。ある程度の隠し事は良しとしているが、やたら多い気がする。そりゃあ確かに、さっき会ったばかりの他人をすぐ信用しろとは言わないが。不審な態度も先程からちらほら見せている。
接しづらい人間だ。
ガサゴソ、とまた草むらの中を駆け回る音が聞こえる。反射的にバっと振り返ると、音を立てた正体はビックリしたように跳ねた。
それは確かついさっきも見た動物だった。
私が驚きながら勢いよく指差すと、リアムも目を見開いて黒猫に目を向ける。黒猫は何事も無かったかのように横切った。
あの人から色々と聞き出さなきゃ、と意気込む私と躊躇いも無く猫を追尾し始めるリアム。猫はそんな私達に気付いているのかそうでないのか、呑気に歩き続けている。
まるでどこかに案内するように。
一瞬だけ、まるで何もかも掌の上にいるような錯覚を覚える。
消えた記憶。謎の部屋。事件性のかおりしかしない。お題をこなすごとに進める部屋。外の森のような部屋。きっとどこかに犯人はいて、私達を見ている。目的は知らないけど。
不安が口から吐き出そうになり、慌てて飲み込む。
今出来る事は記憶を全て取り戻して、ここから出る事だ。不安に駆られてその場に動けずにいたら、何もこなせない。
少し疲れたのかもしれない。今日1日だけで色んな事があった。自己の存在はハッキリと思い出せたが、人の名前や顔はまだ思い出せない。あの人達はどんな人だったっけな。
私達が後をつけてものんびりした歩調を急かす事もなく、何の警戒も無く歩き続ける猫を追う。その黒猫には明確な目的を持って足を進めている。
私がそれを指摘すると、リアムは何も言わずにだんまりを決め込むだけだった。
魔法使い。ヒュッと息を飲んだ。
目でリアムに、続きを促す。
謎の仕掛け。急に現れたあの歌詞の紙。歌っただけで開く扉。魔法の力であると言われれば、納得はいく。いくら都で科学が発展しているとはいえ、私達が目を離した隙に歌詞カードをテーブルに置ける?
リアムはまるでいる事を確信しているような声色だ。
リアムは存在自体が不確定なものは信じないものだとてっきり思っていた。
…この反応なら、もしかしたら本当に会った事とかあったりするのだろうか。
淡い期待を抱いていると、リアムは急に足を止めた。並ぶように、私も足を止める。いつの間にか猫も足を止めていたらしい。
行き着いたその場所は、行き止まりだった。壁に辿り着いたのである。しかも壁紙にはやけにリアルな花畑の絵があった。多分リアムが足を止めていなければ、そのまま気付かずにぶつかっていたのかもしれない。
色とりどりの花々がそこにはあった。手を伸ばせば触れられそうな、そよ風が吹けば静かに揺れそうな色鮮やかな花の大群。思わず目を奪われた。
少し濁したような答えだった。
リアムは何も答えなかった。
そういえば、と黒猫の存在を思い出す。未だに私達の足元にいた。
猫の他に、足元に何かが落ちているのに気付く。しゃがんでそれを拾い上げると、リアムもそれに気付く。
裏を見ると、何も記載されていなかった。
成る程、言われてみればそうかもしれない。四角い線で区切られたものがいくつかある。まるで部屋を表しているようだ。ざっと数えると、繋がっている部屋は9つ程あるらしい。それとは別にあと1つ、何故か他の9つとは違い離れた場所に位置する部屋がある。ご丁寧に、それぞれの部屋に名前が宛てられていた。
あ、やけに道が複雑な構造をしているこの部分って、もしかしてこの森のなんじゃないだろうか。
合点がいく。多分その可能性が高い。
確かに“森”だ。
ちなみに私が目覚めた本棚だらけの部屋を“常識の間”。リアムがいた部屋を“魔法の間”と言うらしい。
成る程地図だったか。まあ案内図って言われれば普通、そっちを思い浮かべる。
それにしても、なんだろうこの地図?この森の地図だけならまだしも…前の部屋に戻る用事があるならともかく、この森以外の地図まで用意する意味が分からない。一方通行だし。
足元でなぁん、と鳴いて黒猫が私の足元に擦り寄る。その猫は私と目が合うと、その赤い瞳でじっと私を見つめた。
言葉が通じないが、しゃがんで猫と近い視線になり、下から猫の顎を撫でた。頭上からリアムの呆れたような視線が突き刺さる。…実はリアムって猫が苦手なのだろうか。
猫は再び、にゃおんと鳴くと私達の間を通って歩き出した。
どうでも良さそうな声色だ。でもちゃんと猫にはついていく。
ほら、行こうと手を差し出される。
………。一瞬だけ、知らない記憶とダブった。
少しの困惑を悟られないように、誤魔化すように私は彼の手を取った。黒猫はそんな私達を見て首輪に付いている鈴を鳴らした。
猫は次の部屋に行きたいのか、扉を爪でカリカリしている。扉はノーダメージだ。傷が付いてない。
黒猫に言い聞かせるようにしながらドアノブを捻り押すと扉は呆気なく開く。待ってましたと言わんばかりに、猫は凄い勢いで部屋の中へと入っていった。
また猫を見失ってしまう。何かの手がかりになるかもしれないのに。そんな焦燥感から猫に続くように勢いよく部屋の中に入った私は、リアムから静止を求める声をくらい、ピタリと足を止める。
猫は、部屋の奥まで行くとまるで光の泡のようにふわりと消えた。
流石に目を見開いて動揺した。さっきまでちゃんといたのに。下顎撫でた時の感触も覚えてる。
リアムも猫が消えた瞬間を目撃したのだろう。動きを止めてただ猫のいた場所を見つめていた。
何だったのだろう、あの猫は。
謎は深まるばかりだ。…もしかしてあの猫は魔法を使える猫なのでは無いだろうか、という思考をよぎったが、そんな猫がいたら今頃魔女狩りで黒猫まで全滅だ。黒猫は魔女の眷属だという伝承もあるらしいが、猫自体は魔法が使えないらしいのでと処刑を避けている。地域によっては猫は神聖なものとする所もあるらしいし。
リアムが一歩歩き、部屋を見渡す。それに倣って私も部屋全体を見てみる。部屋の中央には四季折々の花が束になって丸テーブルの上の花瓶に飾られている。部屋で1番目立って色彩を放っているのはこの花々だ。それ以外は特に目を引くものも無い、ただの生活感のある部屋だ。
___出口が4つあることを除けば。
出口の扉にはそれぞれハート、スペード、クローバー、ダイヤのマークがデカデカと描かれていた。…何だろう?この絵。
花瓶の置いてある丸テーブルの上に、紙が置いてある事に気が付く。
“時には振り返ってみるのも大事だ”
一緒に見たリアムと共に首を捻った。
地図によると、この部屋は”季節の間“というらしい。
猫は何故かいなくなってしまったが、いつまでも引きづっていては進めない。今は頭の片隅に置いておこう。優先順位がひっくり返った。
やる事は変わらない。謎のギミックを解いて脱出する…事のハズなのに。
いつもだったら扉に書いてある筈の、扉が開く条件が書かれていなかった。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。