あまり騒いだり声を張らない俺にとってしっかりと我を持った状態で演じるミーシャのテンションはほんと死にそうなくらい辛い。
そう思うと颯斗は俺に無いものを持っていて凄いな…なんて思う。
俺が颯斗やミーシャみたいな子だったら…報復なんて考えずもっと平穏な日々を過ごせたのだろうか。
まぁ何を今更って話だけど…
シュシュについていた石の飾りを1つ手に取ると、他のみんなにバレないよう手の中に潜ませる。
飾りの端から出ている針金のように細い棒、石で見えない部分は尖っていてこれを一輝に刺せばそのうち勝手に死ぬ。
昨日の夜ご飯がフグの刺身だったから、お母さんが捌き終わったフグの内臓の毒を少し貰った。
テトロドトキシン、20分〜3時間で効く猛毒。
人間は1〜3mgの摂取であの世行きだとか。
これじゃあ、完全に一輝は誰かに殺されたってことになるけど呪いって言われるだけ。
それに警察は持ち物検査はするが、身につけている物までは調べようとしない。
ましてや、ただの留学生が初対面の人を殺す為、事前に毒を入手したなんて思わないだろう。
後ろに並んでいた高校生と思われる男子達がワイワイと騒いでその中の1人が足を滑らせる。
その人は手すりを掴もうとしたのか知らないが、何故か俺のラッシュガードのフードを掴んだ。
こうなると、ドミノ倒し状態。
膝から崩れた俺は前に倒れ階段に顔面をぶつけそうになったが、瞬時に睦希が腕で俺の肩を支えてくれたおかげで目の前で階段の角が止まる。
俺が当たった一輝は俺同様前に倒れた。…はなに避けられ思いっきり階段にぶつかってたけど。
石の飾りから針を抜いた俺は誰にもバレないよう手を伸ばして、ぶつけたことで痺れているだろう一輝の膝の裏に思いっきり刺してすぐに隠した。
睦希の心配する声に返事をしながら、俺は石の飾りと針をポケットの中に突っ込む。
スタッフが来てくれたおかげで場はすぐに冷静になり、数分後にはウォータースライダーの案内が再開していた。
15分くらいが経ったところで俺達の番がきて、下で話していたように俺が最初に滑る。
グネグネとしたカーブや急降下を繰り返して下っていく。
滑り落ちている間、俺は一輝の体調がどうなっているのかが気になって仕方がなかった。
俺には一輝がどのくらいで死ぬのか分からない。
20分で効くかもしれないし、3時間で効くかもしれないし。
まぁ、効くのが早い方が死ぬっていうから、今この瞬間にでも死んでもらえると嬉しい。
プールが見えて、そこに勢いよく突っ込む。
初めてのウォータースライダーは楽しかったが、こんな形じゃなければもっと楽しめたんだろうなって滑った後に思う。
自覚はないが、もしかすると心の何処かでは誰かとプールに行ってみたかったのかもしれない。
そんなことを考えながら俺はプールから上がってみんなが来るのを待った。
美彩はどうしようか…
いけたらいくと言ったが、一輝ので騒ぎになると考えると難しい気がしてきた。
ミーシャを長居させると怪しまれるだろうし。
スライダーからプールに飛び込んだ一輝。
プールサイドに立ってずっと眺めているが、一向に水面から顔を出さない。
何かふざけていると思ったのかライフセーバーの人が一輝に声をかける。
…が、一輝は全く反応しない。
やがてライフセーバーは事故だと気付いて、プールに飛び込むと一輝の元まで泳いで担ぎ、物凄いスピードでプールサイドに戻ってきた。
後から滑った睦希が突っ立っている俺の隣に来るなり耳元でそう尋ねてくる。
俺はただ目を見て、明るい笑顔を浮かべる。
顔色を一気に悪くして美彩を見る。
美彩は緊急事態と気付いたのか、人だかりに近寄り分け行っていく。
俺はただその背中を見ていた。後ろから修哉に追い抜かされても動くことなく立ち止まり、群衆を見続ける。
人混みの中をスルスルと通り抜け、俺は帰る為に更衣室へと向かった。
風景と化して、影を極限まで薄める。
本気ですれば誰の瞳にも俺は映らない。
ロッカーからバスタオルとコンタクトケースを取り運良く誰もいなかったシャワー室の一室に入ると、俺はラッシュガードを脱いでバスタオルを羽織る。
右目につけていた青いカラコンと左目につける黒いカラコンを交換する。
髪ゴムの石の飾りだけを取る。
これで何処にでも居る日本人の女の子。
ラッシュガードをバスタオルの内側に隠して、素早くロッカーに戻ると、俺は来た時に使っていた大きめの鞄の中からリュックを取り出し、中身を移し替えた。
来た時とは違う服をリュックから出して、水着から着替えたら最後に防犯カメラ対策の為にタオルを頭に被せた。
頭をわしゃわしゃと掻きながら、普通にロビーを通って施設の外へ。
駅に向かう途中、サイレンを鳴らして走る救急車とすれ違った。
あのサイレンが帰りには鳴ってないことを願おう。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!