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夕暮れの公園、
振り返った私の右手を誰かが掴んだ。
ひとまわり大きな暖かい掌。
どこか懐かしい花の香りが漂っている。
子供の頃、
たった半年しか過ごせなかった街。
転校を繰り返していた私にとって
友達はあまりいなかったけど
彼だけは私の唯一の思い出だった。
たしか、名前は______
重い瞼を擦り起き上がる。
窓の向こうから鳥のさえずりが聞こえた。
何度目か分からないこの夢は
いつもここで朝を迎える。
まだ続きを知るときではないようだ。
大学4年の春。
もうすぐ私は大人にならなくてはいけない。
同級生も最近は
めっきり姿を見なくなった。
4年生といえばもう講義はないし
あとは卒論を終えて
それぞれの進路に向けて旅立つ準備のみ。
きっと早く過ぎるんだろうなと
まだ実感の無い頭で考えた。
論文用の資料を押さえておこうと
資料室に向かう角を曲がると
同じく資料室を目指していたであろう
同じ学部のスンチョルと遭遇した。
最後に会ったのはいつだっけ。
頭を捻って考えてみても思い出せない。
それほど会ってなかったみたい。
ふ、と笑いながら
スンチョルが資料室のドアを開けた。
その背中について行くように部屋に入ると
埃の被った
古書の香りがほんのりと香る。
窓からは西日が薄らと差し込んでいた。
目が合うと はは、と笑い出すから
思わず私もつられて笑った。
人と話すの自体少し久しぶりで
なんかちょっと緊張してる自分がいて笑える。
相手は友達、
しかもスンチョルなのに。
持っていたスマホの画面を見せると
その手を掴まれて引かれた。
覗き込んで数秒後、
納得したように頷いたスンチョルと目が合った。
ぎゅっと掴まれた手に
少しだけ鼓動が早まる。
ただの友達だけど
こんな近くで彼を見た事はなかったかもしれない。
この状況を打開する
丁度いい言い訳すら出てこなかった。
ぱっ、と右手を離して棚に向かう。
別に怒ってなんかない。
ちょっと驚いただけだ。
隣に立つスンチョルを見上げたら
棚に手を伸ばして
そのまま真っ直ぐ本を見ていた。
スンチョルに励まされるのは
なんかちょっと不思議な感じだけど。
ふふ、と笑って棚から本を取った。
くるりと振り返って
そっと入口に向かって歩き出せば
ドアの手前で
後ろから手首を引っ張られた。
そして口を開くよりも先に
彼の腕が回ってきて
そのまま後ろから抱きすくめられた。
力強く肩口に回った腕。
どこかで感じた香りがふわりと鼻を掠めた。
なぜか今、
今朝見た夢を思い出した。
夕暮れの公園、
振り返った私を止めた大きな手。
あの時私を引き止めたのは
はぁ、と大きく息を吐いて
右肩に頭を乗せてくる。
回された腕に力がこもる。
触れるところ全部侵食されるみたいに熱い。
どんどん加速する心臓が痛くて
感情が分からない。
darling
( 君じゃないとだめみたい )
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編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。