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第29話

“恋”の呪い-5
1,113
2018/10/11 02:43
誰にも信じてもらえないっていうのは、ある種の恐怖だ。心霊現象よりも現実の人間のほうが怖いなんて、まったくもって笑えない。彼が仮想の世界に助けを求めたのは、この笑えない現実が引き起こしたことなのだ。

今までずっと我慢していたのだろう、田口さんは中々泣き止まなかった。私は一度も飲んでいなかったメロンソーダに口をつけて、好きなだけ泣かせることにした。

氷がほとんど解けて薄くなったそれをちびちびと飲んでいると、大神がじりじりと近づいてきて、そっとささやいた。
大神直
大神直
俺思うんだけど、この人の勤めてる会社ってブラック企業ってやつじゃない? 幻覚とか幻聴とか、働きすぎのせいだと思うんだけど
ロコ
ロコ
大神君の言うとおりだったとして、泣くほど苦しんでる人間に、勘違いですよと教えあげて喜ぶと思う?
大神直
大神直
本当のことを知るのも必要だろ
清見ヒロ子
清見ヒロ子
正論うざっ。優しい顔して他人を傷つけるタイプが一番タチ悪いんだよ。悪魔かあんたは
大神直
大神直
……清見さんこそ悪魔だ。俺のこと、もてあそんだんだから
清見ヒロ子
清見ヒロ子
はぁ? なんのこと?
大神は恨みがましそうな表情をするだけで意味は教えてくれなかった。私のどこが悪魔だ。相手の領域を荒らすような悪魔の所業こそ、私が最も忌むべき行為だというのに。



お互い無言でメンチを切りあっていると、通路を歩いてきた女性がテーブルの真横で立ち止まった。
瀬名
もしかして田口さん? えっ、大丈夫ですか!?
ベージュのコートに、グレーのスカートスーツ。いかにも仕事帰りという服装をした女性は、泣いている田口さんを見て驚いていた。
田口圭介
瀬名さん
泣きじゃくっていた田口さんは顔を上げ、しかし泣いていたのを思い出したのか、すぐに俯くと袖で顔を乱暴に拭った。
瀬名
あの、これ
瀬名と呼ばれた女性が、おずおずとハンカチを差し出した。田口さんは一度は遠慮したが、瀬名さんが引かないと分かると恥ずかしそうに受け取った。
田口圭介
マンションの隣の部屋に住んでいる、瀬名さんです
同じテーブルにいる私たちと田口さんを交互に見やって、瀬名さんは何か言いたげだった。まあかなり怪しいよな。こっちは明らかに十代だし、もうすぐ十一時だ。
田口圭介
すいません、変なところを見せてしまって
瀬名
いえ、そんな。あのう、三人はどういうご関係で?
その質問、しちゃうか。

田口さんは強張った顔をハンカチで隠し、逃げをうった。強制的にパスが回ってきたため、私は必死に言い訳を考えた。
大神直
大神直
相談を聞いてもらってたんです
なんだって?

大神の発言に、私と田口さんが驚いて顔を見合わせた。困惑する私たちをよそに、大神はすらすらとありもしないエピソードを並べだした。
大神直
大神直
俺たち、ワケありで家に帰れなくて。駅前でうろついてたら、田口さんが心配して声をかけてくれたんです。親とか家のこととか話してたんですけど、この人、同情して泣き始めるからびっくりしました
あまりにも淀みのない嘘だった。瀬名さんはすっかり信じ込み、田口さんの優しさに感銘を受けていた。
大神直
大神直
時間も時間だし、俺たち帰ります。田口さん、話を聞いてくれてありがとうございました
大神は立ち上がると同時に私の腕を引っ張った。強引にボックス席から出され、ぐいぐい引っ張られる。抵抗しようとしたが、考えてやめた。

今日は話を聞くだけのつもりだったし、頃合いっちゃ頃合いか。
清見ヒロ子
清見ヒロ子
田口さん、あの、また連絡します
ポケットから取り出したものを田口さんに押し付けた。百均ショップで買った、ちゃちなぬいぐるみのキーホルダーだ。
清見ヒロ子
清見ヒロ子
これ持っといてください。肌身離さず
男が持つには違和感ありまくりだが、田口さんは手に収めたそれを大事そうに包み込んだ。

ファミレスを出る間際に振り返ると、田口さんは深くお辞儀をしていた。

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