第3話

秘密 3
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2021/05/17 09:00
賑かな世間から不意に韜晦とうかいして、行動をただいたずらに秘密にして見るだけでも、すでに一種のミステリアスな、ロマンチックな色彩を自分の生活に賦与ふよすることが出来ると思った。私は秘密と云う物の面白さを、子供の時分からしみじみと味わって居た。かくれんぼ、宝さがし、お茶坊主ちゃぼうずのような遊戯―――ことに、それがやみの晩、うす暗い物置小屋や、観音開きの前などで行われる時の面白味は、主としてその間に「秘密」と云う不思議な気分が潜んで居るであったに違いない。
私はもう一度幼年時代の隠れん坊のような気持を経験して見たさに、わざと人の気の附かない下町の曖昧あいまいなところに身を隠したのであった。そのお寺の宗旨が「秘密」とか、「禁厭まじない」とか、「呪詛じゅそ」とか云うものに縁の深い真言宗であることも、私の好奇心を誘うて、妄想もうそうはぐくませるには恰好かっこうであった。部屋は新らしく建て増した庫裡の一部で、南を向いた八畳敷きの、日に焼けて少し茶色がかっている畳が、却って見た眼には安らかな暖かい感じを与えた。昼過ぎになると和やかな秋の日が、幻燈げんとうの如くあかあかと縁側の障子しょうじに燃えて、室内は大きな雪洞ぼんぼりのように明るかった。
それから私は、今迄親しんで居た哲学や芸術に関する書類を一切戸棚とだなへ片附けて了って、魔術だの、催眠術だの、探偵小説だの、化学だの、解剖学だのの奇怪な説話と挿絵さしえに富んでいる書物を、さながら土用干どようぼしの如く部屋中へ置き散らして、寝ころびながら、手あたり次第に繰りひろげては耽読たんどくした。その中には、コナンドイルの The Sign of Four や、ドキンシイの Murder, Considered as one of the fine arts や、アラビアンナイトのようなお伽噺とぎばなしから、仏蘭西フランスの不思議な Sexuology の本なども交っていた。
此処の住職が秘していた地獄極楽の図を始め、須弥山しゅみせん図だの涅槃像ねはんぞうだの、いろいろの、古い仏画をいて懇望して、丁度学校の教員室に掛っている地図のように、所きらわず部屋の四壁へぶら下げて見た。床の間の香炉からは、始終紫色の香の煙が真っ直ぐに静かに立ち昇って、明るい暖かい室内をきしめて居た。私は時々菊屋橋ぎわみせへ行って白檀びゃくだん沈香じんこうを買って来てはそれをべた。
天気の好い日、きらきらとした真昼の光線が一杯に障子へあたる時の室内は、眼のめるような壮観を呈した。絢爛けんらんな色彩の古画の諸仏、羅漢らかん比丘びく比丘尼びくに優婆塞うばそく優婆夷うばい、象、獅子しし麒麟きりんなどが四壁の紙幅の内から、ゆたかな光の中に泳ぎ出す。畳の上に投げ出された無数の書物からは、惨殺ざんさつ、麻酔、魔薬、妖女ようじょ、宗教―――種々雑多の傀儡かいらいが、香の煙に溶け込んで、朦朧もうろうと立ちめる中に、二畳ばかりの緋毛氈ひもうせんを敷き、どんよりとした蛮人のようなひとみえて、寝ころんだまま、私は毎日々々幻覚を胸に描いた。

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