ベッドに転がした女は死んでいるように見えた。顔色の悪さに思わず鼻先に手をやってみる。
かすかに手のひらに息が当たった。
生きている。
ほっと安堵のため息をついて、諸当悠斗は女のそばに腰を下ろした。
改めて自分が拉致してきた女を見つめる。美人だった。26歳だと聞いていたが、学生のようにも見える。
もっとも貰った写真はかなり遠くから撮ったらしくぼけぼけだったが。
悠斗は紅正興業という暴力団の下部構成員、世間的にはチンピラと呼ばれる立場だった。
2日前、突然兄貴分の須田に「女を拉致ってこい」と言われた。チンピラに拒否する権限はない。
須田は長年、総会屋としていくつもの会社の総会を荒らしては不正な融資を受けてきた。だが二度の商法改正によりその活動が制限され、今はもっぱら新聞屋として活動している。
新聞屋というのは隠語で、内容のない、適当な業界紙や機関誌を発行してそれを企業に買わせ利益を得る商売だ。もちろんたいした金はかけない。そうやって作ったものに対しての料金は法外なものだが、下手に断って反社会勢力に嫌がらせをされるよりは、と、どの会社もおとなしく金を出してきた。
ところがそんな会社の中で一番実入りのよかった丸星証券が、新社長になったとたん、暴力団との癒着を斬る、と、雑誌購読を拒否してきたのだ。
社長の娘を拉致する、というのは、それに対する報復だ。
悠斗が女を拉致して連れ込んだのは、須田が持っているいくつかのマンションの1部屋だった。
隠れ家だったり、エロビデオの撮影に使ったり、若い組員がやばい荷物を運び込んだりするために、都内にいくつか確保してある。
ベッドと冷蔵庫と机とパソコン。クローゼットはあるが中はからっぽ。冷蔵庫の中にはミネラルウオーターとビール、食材が少しだけ。
部屋は1LDKで、悠斗の住んでいる1Kのアパートよりきれいだし広かった。バスとトイレが別になっているというだけでも贅沢だ。
窓を覆うブラインドのすきまに指を入れて眺めれば、ごく近い場所に東京タワーが見える。景色もいい。
悠斗はベッドに寝かせた女の顔を見つめた。長い前髪が一筋頬に流れている。指先でそっとそれをよけたとき、女の睫毛が震えた。
女が目覚める。悠斗はどぎまぎしてベッドから降りた。
女はぼんやりしていた。拉致るときにかがせた薬のせいかもしれない。
クロロホルムですか、と須田に聞いたら、そんなもんで気絶させようと思ったら10分以上かかるぞと笑われた。
実際なんという薬か、悠斗は知らない。
女は目を動かして悠斗を見た。眉が寄せられる。
女はニ三度まばたきした。
顔をしかめ、悠斗の言葉を遮ろうとする。
女はベッドの上に勢いよく体を起こし、「いたたっ!」と頭を抱えた。
女は頭を押さえたまま呻いた。
女の叫びに悠斗は固まった。
なんだって?!
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!