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第7話

恐怖の消失(二幕)
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2023/03/25 08:25






呼び出された部屋に着き、見張りを押し退けドアを荒く開いた。
二人の男の背中が見える。


締まらない風体をしたコートの男。
真っ黒なスーツと小柄な体型の目立つ男。


(見飽きた背中だ)


順にマレンコフとベリヤ、立っているその足の下には、白髪のちいさな独裁者、スターリンその人が横たわっていた。
なまじ躊躇して覗き込む。




ヒゲは白目を剥いて失禁していた(史実)

「ああ、一大事だ 大変だ」

フルシチョフが状況を把握するより前に。マレンコフが大袈裟なほど声を上げ、必死な身振りを取って見せた。


「まあな、かなり具合が悪そうだ」


わざとらしく露骨な返答をしたのはロシア随一の冷血男、ベリヤ。
正直こいつは初めて会ったときから早く死なねえかなって思ってる。
…と、隣でおろおろとしているマレンコフ、おおかた俺が来る前に何か打ち合わせをしていたのだろう、チラチラと双方を伺い続けているようだ。

(しかし今はこのベリヤ以上の冷血男をどうにかしないと、何も始まらない)
フルシチョフは開口一番切り出し、
「最悪の事態だ、早く医者を呼ぼう」
当然、これは建前である。
しかしここで極度に心配する素振りを見せておかないと、もし喜んだりすれば回復した時に粛正ものだ。
同じ心境であろう同僚ベリヤはぬけぬけとこう言った。

「それは一定数の賛成を得た委員会が決める事柄だ。それに、有能な医者はみな反逆罪で獄中だぞ」

嘲笑うように吐き捨てる。
そう、この国では体制に反対的な知識人は隅から隅まで追放ないしは粛清されている。
中には媚を売り抜けて助かった連中もいたようだが、まぁそれに該当するのは我々だろう。
優秀な医者ほど反抗的なものなら、つまり今は勿論碌なものはいないということ。
実際問題その通りなのだが………


「委員会だと?書記長はここで寝てるじゃないか」
「だから困ってる。」どこが困ってるものか、さっきからずっとニヤニヤしやがって。
「医者を呼ぶ権利を持つ人間は昏睡しているし、そもそも医者もいないんじゃあ」
「じゃあ一体どうしろと」
「そう興奮するな。ウクライナ人民スキタイの名が聞いて呆れる」
故郷と己を侮辱され血が昇った。

「この禿頭、いい加減にしないとぶっ飛ばすぞ!」
「はっ、は、禿頭はおぉお、お互い様だろうがっ!」

沸点の低いフルシチョフがベリヤの胸ぐらを掴みかけたとき、



バタァンッ!


ドアの開く音。
振り返るとそこには忠臣モロトフが今にも死にそうな顔をして立っていた。

「あの偉大な方はどこに!?!?」と蚊の鳴くような声。
言うや言わぬや髭の方へ一直線。全くこいつは妻を粛清されかけてもまだ忠義を捨てていない、ほんと気持ち悪い奴だ。変態だ。
「気をつけろ、濡れてるよ」
ベリヤが柄になく忠告したので驚いた。
そんな思いやりができる人間ではない筈なのに。
モロトフは一瞬触るのを躊躇ったがそのまま髭を揺さぶって声をかけ続ける。
ふと見るとベリヤは面白くなさそうな顔をしていた。
ああ、こいつモロトフが躊躇するのを見たかっただけだな、あわよくば何かの口実にする気だったんだろう。
モロトフはヒゲに意識がないことがわかると俺たちに向かって檄を飛ばした。

「医者だ、医者を呼べ!」
「それには一定数の賛成がいるのだと何度言えばわかる?ここはスターリン邸だ」

何度も言ってないだろうモロトフには。このクソハゲ…
下衆な笑いに腹が立つのはモロトフも同じだったようだ、気が短いとはよく言われるがこいつに対しちゃ誰でも同じだろう、、

「幼女趣味が調子に乗るなよ!今は緊急事態なんだ、このハゲ!」
「お,お前までハg………緊急事態に対応できてこその法律だろう!全く、お前はそれでも名誉あるウクライナ人か!」
「Почему я⁉︎‼︎Яубью тебя ──────.
「黙れ!死ね!死ね!死ね!死n

「どけよ、クソッタレども」

またドアを荒く蹴破る音がした。
隙間からは罵詈雑言の数々に圧倒された内側の見張と、
入ってきた男に、張り倒された外側の見張りが見える。なんだありゃあ…

低い声と共に荒々しく踏み込んできたのは、右の額に傷を持つ強面の男。

「げ、ジューコフ!」
「おぉ!ニキータ!」

ゲオルギー・ジューコフ。ソビエト連邦の元帥。お察しの通り軍人脳。

「何がニキータだこの脳筋!これが見えないのか?」
「?!なんてこった!!同志!!!?」

クソ、こいつはわかりやすくて助かるがどうも調子が狂うぜ…
(他者に距離が近いのは元からだが輪をかけて俺と距離が近いのは気のせいということにしているが)

「…何の用で来たんだ?」
少し落ち着きを取り戻せた俺は静かに問いを投げかけた。
「ん。ああ、緊急の呼び出しがあってな。要件が何なのかを聞いても教えてくれんもので受話器を壊しちまった。見張りにも聞いたがそっちも答えん。だから殴り飛ばした。ま、どうでもいいんだけどな」
「お前は何がしたいんだ」
俺の意見は真っ当だ。こいつは変だ。
「お前に会いたかったのさ、な〜んてね!」
こんなときに、当然のように俺以上におちゃらけて言ってみせるものだから俺は黙り込んでしまう。歯に衣を着せているのかいないのかわからない。こいつのそういうところが嫌いなんだ…!
沈黙は続かず、間髪入れずにモロトフが「同志を運べ」と言い出したところでまた騒がしくなった。
「逝かせてはだめだ」
「ああいや運べってどこに」
「ベッドに運べ!」
「濡れてるよ、それに重い」
「塀にかかってた機関銃よりは軽い」
「お似合いだな」
「俺一人でも持てるさ」
「だってほら濡れてるぞ」
「は?無理」
「ぶち殺すぞ」
「勘弁してくれ…」
「なんだ?文句があるのかチンドン屋」
「」
ジューコフがマレンコフを睨みつける。
睨みつけられた当人は今にも泡を吹きそうだ。
「真面目にやれ!」

やんややんやと言い争った結果、皆で持ち上げることにした。

(というか、ジューコフ以外のメンツはスターリンを持ち上げた瞬間腰を折るに決まっているし、警護に持たせるわけにもいかんから、初めからジューコフが持つか皆で持つかの選択肢しかないというのに何をやっていたんだ…)

ヒゲの背中に手を回す。
生気が感じられない、こりゃあダメかもしれんなぁ。

「いくぞ、しっかり持てよ」
「1、2の3でいくぞ、いいか?おい聞いてるか?!」
「せーのっっ!」
「「っおいおいおいおおおぉぉお、待てっ待て!」」
(ぎゃ!)
突然持ち上げられ、腰の周りがビキっと鳴ったが何とか耐えた。
身体の節々が酷く痛い。これ以上持ってられない、持ちたくない、痛い。
どうやらそれはマレンコフとモロトフも同じ気持ちらしく、顔を赤くさせたり青くさせたりしながら必死に持ち上げていた。

対するジューコフはというと、
『軽いな!』
と今すぐ言い出しそうなほどの(まだ言ってない)余裕を持った顔で、でかい手に収めて抱えていた。
これが若い頃から鍛えてきた武官とそうでない文官の決定的な違いだろうな、
お゛ぁぁ腰が痛い。

「よい、しょ……」
「おいゆっくり置けよ!」
「うるせぇ」

そっとベッドに横たわらせる。どうにか落とさずに済んだ…
そのままヒゲの顔をじっと見つめるベリヤを見る。汗ひとつ流していない。コイツ手だけ添えて横着しやがったな。

ジューコフが切り出す。

「…で!」

本当によく通る声だ。いやそれは関係ない。

「どうするんだ、ここから」
「どうするったって………………」
「医者だ!」
「まともな医者なんてどこにもいないって言ってるだろ」
「えぇい誰でも良い!!呼べ!!!!お抱えの専門家が居ないとは言わせんぞ!」





***





 午前7時、ベリヤと医学専門家たちが召集され、スターリンの診察が行われた。

血圧110-190、右半身麻痺が認められ、高血圧症の既往歴があったことからも、左中大脳動脈の出血性脳卒中を起こしたと診断された。
その後様々な治療を受け、120-210まで上昇した血圧を下げるため2日間で8匹のヒルを2回に分けて首と顔に当てられた。


しかし、病状は悪化の一途をたどり、3月5日午後9時50分に死亡した。







“極秘”



まさに極秘、”スターリンの死“をどう公表するか。
誰が、どのように。そして、後継者は?
ワシーリーは些か安心できない。
スヴェトラーナは聡明だ。だが女である上、聡明なだけで独裁者に必要な厳格さが無い。
いや、この国は血統制では無いし委員会が決める出来事なのだ。
そうなると側近が代わりに政治を行うことになる。
本当にどうなるのか、誰がどうやって…

悶々と思案していると、誰かが肩を叩いてきた。

「後継者か?それならマレンコフを推薦する」
「は?」
「脳の次は耳まで腐ったか?」
「自己紹介だけは上手いな。もう一度聞き直してやってもいいぞ」
2回の応答でここまでできるものかと、どこか他人事のように考えさせてくる。
その相手はもちろんベリヤだった。
「ゲオルギー・マレンコフを推薦すると言っているんだ」
こいつがあいつを推薦する時点で何を考えているかなんて赤子でもわかる。
「あの腰抜けを?お前は本当に正気じゃあないな。そんな回りくどいやり方をしなくとも、自分が出れば良いじゃあないか。」
遠回しに、傀儡を狙っていることは見えていると脅した。
まあそれもあいつは想定した上で言ってきたに決まっている。ここまではテンプレートのはずだ。

「まさか、自分で自分を推薦したりするはずがないだろう?ニキータ・セルゲイヴィチ?」



同族嫌悪…というほどでもないが、今回ばかりは考えていることが重なるらしい。

俺は人生を楽しめればそれでいい。王座を狙い、大それた野心を抱いて身を滅ぼすなどバカのやることだ。
この地位が求める中で最も高い地位で、それ以上は求めないし求めたく無いものだろう。

今だってそう思っている、筈だ。


しかしこいつが頂点に立つくらいなら、自分がやるしかない。
この男は自分にとって危険すぎるのだ。
“粛清”と天秤に掛け、諦めなければと思った。
他の者にだって如何にも任せることができない。
こいつがいる以上、選択の余地がないことに今更乍ら気付かされた。


「───それは候補の出方次第だ、ハゲ」
悪態をついてその場を後にした。






続く?

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