「ただ、彼女には………––––––」
何も聞こえない。
––––––いや、聞こえていたのだ。
頭が理解するのを途中で拒んだ。
それだけのこと。
トサッ。
足元に花束が落ちて、
その音だけが鼓膜を震わせた。
それだけの、こと。
不意に、耳の奥によみがえった。
響いた悲鳴。
急ブレーキの音。
サイレン。
誰かの声。
喧騒。風の音。視線。
そしてまた、何も聞こえなくなった。
僕は、僕は––––––。
大切な人を、また守れなかった。
ただ、それだけのこと。
2日前。
デートの帰りだった。
僕らは横断歩道の手前で立ち止まっていた。
そこに突っ込んできた軽トラ。
僕の目の前で、彼女––––悠香は轢かれた。
動けなかった。
声すら出なかった。
息をすることすら忘れて、
微動だにしなかった。
大切な人が危機に瀕したその前で、
僕は何もできなかった。
それだけ。
だからこれは、弱い僕に課せられた罰。
「彼女には、ここ数年の記憶がありません」
麻酔から覚めた悠香にお見舞いに行こうとした僕を、君の主治医は呼び止めた。
絶望を、僕に運んでくるために。
それだけのこと。
君は僕を覚えていない。
君は僕のことを忘れた。
君は、僕を知らない。
大切な人を守れなかった、僕のことを。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。