第4話

人間椅子 4
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2021/06/15 04:00
 私は、そこへ深々と身を沈め、両手で、丸々とした肘掛けを愛撫しながら、うっとりとしていました。すると、私の癖として、止めどもない妄想が、五色ごしきの虹の様に、まばゆいばかりの色彩をもって、次から次へとき上って来るのです。あれをまぼろしというのでしょうか。心に思うままが、あんまりはっきりと、眼の前に浮んで来ますので、私は、若しや気でも違うのではないかと、空恐ろしくなった程でございます。
 そうしています内に、私の頭に、ふとすばらしい考えが浮んで参りました。悪魔の囁きというのは、多分ああした事を指すのではありますまいか。それは、夢の様に荒唐無稽こうとうむけいで、非常に不気味な事柄でした。でも、その不気味さが、いいしれぬ魅力となって、私をそそのかすのでございます。
 最初は、ただただ、私の丹誠たんせいめた美しい椅子を、手離し度くない、出来ることなら、その椅子と一緒に、どこまでもついて行きたい、そんな単純な願いでした。それが、うつらうつらと妄想の翼を拡げて居ります内に、いつの間にやら、その日頃私の頭に醗酵はっこうして居りました、ある恐ろしい考えと、結びついて了ったのでございます。そして、私はまあ、何という気違いでございましょう。その奇怪極まる妄想を、実際におこなって見ようと思い立ったのでありました。
 私は大急ぎで、四つの内で一番よく出来たと思う肘掛椅子を、バラバラにこわしてしまいました。そして、改めて、それを、私の妙な計画を実行するに、都合のよい様に造り直しました。
 それは、極く大型のアームチェーアですから、掛ける部分は、床にすれすれまで皮で張りつめてありますし、其外、もたれも肘掛けも、非常に部厚に出来ていて、その内部には、人間一人が隠れていても、決して外から分らない程の、共通した、大きな空洞うつろがあるのです。無論、そこには、巌丈がんじょうな木の枠と、沢山なスプリングが取りつけてありますけれど、私はそれらに、適当な細工を施して、人間が掛ける部分に膝を入れ、凭れの中へ首と胴とを入れ、丁度椅子の形に坐れば、その中にしのんでいられる程の、余裕を作ったのでございます。
 そうした細工は、お手のものですから、十分手際よく、便利に仕上げました。例えば、呼吸いきをしたり外部の物音を聞く為に皮の一部に、外からは少しも分らぬ様な隙間をこしらえたり、凭れの内部の、丁度頭のわきの所へ、小さな棚をつけて、何かを貯蔵出来る様にしたり、ここへ水筒と、軍隊用のかたパンとを詰め込みました。ある用途の為めに大きなゴムの袋を備えつけたり、そのほか様々の考案をめぐらして、食料さえあれば、その中に、二日三日這入はいりつづけていても、決して不便を感じない様にしつらえました。わば、その椅子が、人間一人の部屋になった訳でございます。
 私はシャツ一枚になると、底に仕掛けた出入口のふたを開けて、椅子の中へ、すっぽりと、もぐりこみました。それは、実に変てこな気持でございました。まっ暗な、息苦しい、まるで墓場の中へ這入った様な、不思議な感じが致します。考えて見れば、墓場に相違ありません。私は、椅子の中へ這入ると同時に、丁度、隠れ簑でも着た様に、この人間世界から、消滅して了う訳ですから。

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