第41話

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2022/03/14 02:57




お風呂から出て、私のサイズよりもほんの少しだけ大きい紺色の着物に袖を通す。






前に見たあのおじいさん...小柄に見えたけど、意外と大きかったんだな、昔は






久しぶりに着る着物というのは意外と難しいもので、着替えに手こずること20分。




髪を乾かしてから客間へ戻ると、机に頭を突っ伏して外を眺めてる可愛らしい人がいた。




私が机を挟んだ反対側へ座ってもその頭は動かず、少し物音に反応しただけ。




私の目の前には、きっとさっき用意してくれたであろう湯呑みが置かれていて。




おばあちゃんが、私によく出してくれた湯呑み。




その湯呑みに急須から温かいお茶を注いで、少し口に含んでみればまた懐かしさを感じる。




おばあちゃんの出してくれたあの緑茶と、味が変わらない。




懐かしさと安堵と沈黙と。雨音だけが響くその空間に癒されていると、目の前の人が姿勢を変えずに口を開いた。




サナ
サナ
さっき電話してた人...誰?
あなた
...なんでですか?
サナ
サナ
...ずるい
あなた
何がですか笑
サナ
サナ
あなた...婚約者さんと、結婚しちゃうん?
あなた
...?ほんとにどうかしたんですか、急に
サナ
サナ
...紗夏、やっぱりあなたが好き。ずっと好き。
あなた
...ありがとうございます
サナ
サナ
こんなの...言ったらあかんって分かってんねんけどな
サナ
サナ
紗夏、嫌や。あなたにあんな顔させる人、あなたと一緒にいて欲しくない
あなた
...私も、結婚なんてしたくないですよ
サナ
サナ
...電話してたの、婚約者さん?
あなた
いえ?父さんです。
サナ
サナ
.........お父さん!?
あなた
え?はい。なんかおかしいですか?
サナ
サナ
お、お父さんと電話してあんなにスッキリした顔するもんなん?嫌いなんじゃ...
あなた
ん〜...色々、あったんです。向こうも笑
あなた
話したからって好きにはなれませんけど...ちょっとは、憎まなくてもいいのかなって
サナ
サナ
そ、そうなん...じゃあ、婚約者さんのことは...?
あなた
まぁ、普通に嫌ですよね。好きでもないし。ましてや......うん。
サナ
サナ
......え?ましてや...なんなん?
あなた
...元いじめっ子なんかと結婚したいって思う人、居ます?
サナ
サナ
は......は?!え、いじめっ子...?!
あなた
あれ、言ってませんでしたか。
サナ
サナ
聞いてへん!ちょ、どういうこと?!
あなた
まぁこれも色々ありまして...いじめっ子が婚約者なんですよね
サナ
サナ
いやっ...その色々を聞いてんねんけど...
あなた
話す価値もありませんから笑
サナ
サナ
い、いじめっ子と...婚約...?
あなた
...婚約の話はもうやめましょう。楽しいものでもないですから
サナ
サナ
...紗夏、奪ってもええかな
あなた
...はい?
サナ
サナ
あなた...一緒に逃げようよ
あなた
何言ってるんですか...?
サナ
サナ
紗夏と一緒に、こことは違う国に逃げるん。そしたらあなたは社長辞めれるし結婚しなくてええし、紗夏はあなたと一緒におれるし...どう?
あなた
...ダメに決まってますよ。何言ってるんですか。正気ですか?
サナ
サナ
紗夏は本気。な?一緒に誰も知らんとこ行ってさ、二人で仲良く暮らそ?
あなた
.........馬鹿言わないでください。
サナ
サナ
...本気やって。
あなた
...いくら紗夏さんでも、その発言は許せません。
サナ
サナ
え?
あなた
私が今この座を降りれば...私の下に続く無数の社員の人生はどうなるんですか?
あなた
私が今この座を降りたなら、私の今までの人生はなんだったんですか?
あなた
...誰だって、人生に意義を見出したいものです。私は、この職に今までの人生の意義を見出しているんです。
あなた
ただ、意義以上に大切なものが私の下には続いている。
あなた
...婚約者との因縁があるから。そんな私的要因で数百万に及ぶ人生を狂わせていい訳が無いんです。
サナ
サナ
...ごめん、考え足らんかった......
あなた
...正直、私もこの職自体好きでは無いです。でも嫌いでもないんです。
あなた
私がもう少し下の立場であれば...紗夏さんの言った通りにしたでしょうね




暫時沈黙の続く客間。




私達の間には小さな雨音だけが響き渡る。




...一瞬でも紗夏さんのその一言に靡いてしまった。それだけで罪悪感が酷くなった気がする。




自分はこの人から離れるべきなのではないか。そんな飛躍したことまでこの一瞬で頭に浮かんだ。




この先社長として、彼女以外の人間と婚姻関係を結ぶ身の上の私が。




少しでも心揺らいでしまう原因と関わっていても良いのか。




...やめよう、どうせ答えなんて出ないんだから




彼女は彼女で、なにか思い悩んでる様子で。




お茶をすすり、ひとつ小さくため息をこぼして。




墓石を見つめて数分、何かを決意した目で、私にまた問い掛けた。




サナ
サナ
それなら...紗夏に出来ること、なんかない?
あなた
...出来ること?
サナ
サナ
ここの管理でもいい、あなたの補佐とか、そんなのでもなんでもいい
サナ
サナ
...近付けなくても、傍におれんくても。あなたが好きなことだけはやめたくないねん
サナ
サナ
...なんか、ないかな...
あなた
ない...といえば嘘になります
サナ
サナ
...あるん?
あなた
ん〜...あるって言っても嘘になります
サナ
サナ
なんなんそれ笑
あなた
...ここの建て壊しの見届けを、お願いしたいです
サナ
サナ
...結局、壊しちゃうん?
あなた
私はここに来れなくなりますし、紗夏さんも何度もここに来ていては不審がられるでしょうから
サナ
サナ
墓石は?おばあさんの居場所無くなっちゃうやん
あなた
引っ越します。私の...別荘に
サナ
サナ
別荘って...下の?
あなた
えぇ。この距離ならそこまで費用はかからないでしょうし。
あなた
費用は私持ちで、紗夏さんには墓石の移動とここの建て壊しの見届け人としてお願いしたいです。
サナ
サナ
...紗夏に出来るかな
あなた
出来ますよ。見届けるだけですから。
あなた
その後は...また考えます。私も、これで紗夏さんとの縁が切れるのは嫌ですから
サナ
サナ
...へへ、なんか嬉しいな。そう言ってくれるん、嬉しいや
あなた
......相変わらず、よく分かんない人ですね笑




そう言ってはにかんだ紗夏さんのその笑顔に、妙に胸が痛んで。




原因不明の動機を素知らぬ振りをして、またいつもの様に。




紗夏さんの、大人にしてはくだらないけど紗夏さんらしい雑談を耳に入れながら、お茶を啜った。




婚約も、建て壊しも。




この人を前にすると、すっかり頭から抜け落ちて。




ただ、少しだけ心が軽くなって、ほんの少しだけ、幸せな気分になれる。




それがどういう感情で、自覚すべきものなのかしないべきものなのかなんて。




私に、分かるはずもなかった





























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