目を開くと、視界を懐かしい景色が埋め尽くした。
幼かったあの日、母の手に抱えられながら眺めたこの光景。
父と、母の優しい笑顔に包まれて。凄く幸せな世界にいた事をふと思い出した。
暗い視界にうっすらと浮かび上がるその天井は、見紛う事なき別荘の天井。私が何年か前に置き去りにした景色。
あまりの恋しさに幻覚でも見ているのか、当時あれだけ鬱陶しいと思っていた体温が私の左手にある。
...夢なら、まだ覚めないで欲しい。
あの頃の、責任も何もなかったあの頃の、自由で、幸せで、少し騒がしいけれど、安心できるあの空間に。
あの日々が脳裏を過ぎると、同時に目元が熱くなる。眠気から来るものでないことは私が1番よく分かっている。
邪険にしながらも、あの5人と過ごす日々は楽しかった。
迷惑だと思いつつも、何かと声を掛けてくれるあの人の笑顔が嬉しかった。
結局、大人ぶっても背伸びをしてみても、私はまだまだ未熟な子供。
過ぎたものに思いを馳せて、戻らないと分かっていながらも今ここにある幻想を手の中に留めておきたいと願ってしまう。
5人の声は聞こえないけど。あの人の笑顔は見えて来ないけど。
あの日々が始まる度に目にしていたこの天井が、全てを思い出させてくれるから。
...っ、い、たい、な
目を開いて、しばらくして。天井を眺めながら、身体を動かせる事を知る。
まるでゲームの中の主人公のような、朦朧とした意識の中で。
少し身体を動かそうと頭を持ち上げて見れば、酷く鋭い痛みが側頭部に走る。
ひとつため息をついて、また枕に逆戻り。動くなと言うことなのか、さっさと現実を見ろという暗示なのか。
目線を窓辺に向けてみれば、真ん丸の月が木の隙間から顔を出している。
こんなに鮮明な夢があるのかと、驚いた瞬間。
突然、私の頬にひんやり冷たい何かが触れた。
夢の中の体温が、突然動き出して横たわる私の上に無遠慮に飛び乗ってきた。
その感触が、あまりに現実味を帯び過ぎている。夢だと思っていたのに、今や夢と現実の境目が分からなくなりつつある。
ただ、どちらにせよ分からない。
夢であれ現実であれ、どちらでもいい。
なぜ、なぜ私の、この別荘の私の部屋に、あの人がいる?
相変わらず変わらないその笑い方に、また頭痛がした。
くしゃっと笑うその顔が好きで、私の上に乗ってる癖に暴れるその遠慮の無さも、ちょっと好きで。
寝起きから私を包むこの人の暖かい雰囲気が、あの日々をまた思い出させてくる。
...こんな風に思うなんて、頭でも打ったかな。
目を覚まして、紗夏さんに飛び乗られて身動きが取れない状態が数分続いた。
その間、2ヶ月間の出来事を楽しそうに話す紗夏さんに相槌を打ちながら。表情がころころ変わるこの人をベッドから下ろして、2人でリビングへと戻った。
そこには、当然5人がいて。わらわらと集まってくる4人の奥に、気まずい顔をした人間が1人。
何を言われたのか、何を言ったのか。興味もなかったけれど、再会して始めてみるその表情に少し違和感を覚えた。
粛然とした様子でそこに座る、元凶。
...いや、ちょっと違うけど、私を騙してた人。
つい数刻前のあの頭痛が少しぶり返した気がして、リアオンニが渡してくれた保冷剤を片手に元凶の隣に座る。
どうやら他の4人は既に当の本人から話を聞いているらしく、なんとも言えない顔をしながら私に続いて腰を下ろし始めた。
圧倒的に場違い...この場の雰囲気に似つかわしくない紗夏さんも、私の隣に座って。
何から聞けばいいか分からない。
いつからこの人はその事実を知っていたのか、その事実を知っていながら我社に入社してきたのはなぜなのか。
そもそも、何故それなら今まであの家に顔を見せなかったのか。いや、もしかしたら私が知らないだけで行っていたのかもしれない。
私の一族とおばあちゃんの一族の関係を知っていたなら、何故私と同棲なんて、ましてやあんな行為まですることが出来たのか。
聞きたいことが山ほどある。数え切れないほど、沢山あるのに。
...なんで、オンニがそんな顔するの
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!