【駅のロータリー】
日曜午前10時45分、御津原駅前。
莉の香が待ち合わせ場所のロータリーに着くと、紫崎が先に待っていた。
まだ時間の15分も前だ。
紫崎は口の端を上げ、小さくニヤリと笑みを浮かべた。
* * * * * *
【ターミナルビル:飲食店の外】
ランチをとった店の外で莉の香は、支払いを終えて出てきた紫崎にぺこりと頭を下げた。
微笑んだ紫崎は右手を伸ばし、莉の香の頭をぽんぽんと撫でた。
莉の香は俯いて、自らの靴の先を見つめる。
まだ俯いたまま、瞳だけで紫崎を伺った。
彼は相変わらず、どこか余裕ありげな笑みを浮かべている。
喉の奥から、言葉が出かかっている。
けれど。
口をついて出たのは、違う言葉だった。
紫崎はわずかに瞳をめぐらせ、それから軽くため息をついた。
莉の香は息を呑んで、紫崎の次の言葉を待つ。
莉の香は驚きの声を呑み込んだ。
だが、おそらく。
香子という女性は、おそらくは紫崎の過去の恋人なのだろう。
つまり莉の香を通して紫崎は、亡き恋人の幻影を見ているのだ。
——莉の香本人を、好きになってくれたわけではなかったのだ。
莉の香はきゅっとくちびるを噛み、両てのひらを握りしめる。
俯いたままの莉の香に、紫崎が声をかける。
莉の香は。
目尻が熱を持ち、涙がにじみそうになる。
莉の香は慌てて背を向けると、なるべく明るい声をこころがけ、紫崎に告げる。
そのまま駆け出し、人の波を縫って走り抜ける。
紫崎が追ってきたのかどうかは、わからなかった。
莉の香は一度も振り返ることなくビルを出て、駅から電車に乗り込んだのだった——。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。