【学校の廊下】
紫崎とデート(?)をした翌日。
莉の香は髪を編まずに登校した。
廊下を通りかかった紫崎に生徒たちが気づき、口々に挨拶する。
だが紫崎は、返答こそすれ一瞥もせずに通り過ぎていった。
女子生徒たちだけでなく、莉の香の姿だってきっと視界に入っていただろうに。
莉の香は奈々の声を背に受けて、あからさまにならないよう適度な早足で紫崎の後を追った。
* * * * * *
【学校の渡り廊下】
校舎の別棟へと続く渡り廊下で、莉の香はようやく紫崎に追いついた。
莉の香は口ごもる。
何かの衝動に駆られて追ってきてしまったが、莉の香自身、それが何なのかわかっていなかった。
口ごもる莉の香を一瞥し、紫崎は足を踏み出す。
だが、莉の香が声にならない声をかけたとき、彼はぴたりと動きを止めた。
そして、踵を返して歩み寄ってくる。
彼は莉の香の耳に顔を近づけ、小さな声でささやいた。
紫崎はすぐに莉の香から離れると、身を翻して立ち去ってゆく。
莉の香はささやかれた耳元を押さえ、紫崎の姿が遠くなって行くのをただ見つめていた。
* * * * * *
【自宅マンション】
学校から帰宅した莉の香がハンガーに制服をかけると、ブレザーのポケットから何かの紙切れが飛び出した。
床に落ちたそれを拾うと、見覚えのある一筆箋だ。お香の香りもする。
『今週末、日曜。
待ち合わせ場所・時間はこの間と同じ』
達筆だがくずしの少ない読みやすい字。紫崎の字だ。
莉の香の耳元でささやいたとき、ポケットに一筆箋を入れたのだろう。
莉の香はしばし一筆箋を手に佇んでいた。
朝の始業前通りすがった紫崎が、学校では初めて髪を下ろした莉の香に目もくれなかったことが、寂しかった。
だからつい、追いかけてしまった。
莉の香は手にした一筆箋を鼻に近づけ、お香の香りを吸い込んだ。
日曜に抱き寄せられたとき。今日、耳元に口を寄せられたとき。
紫崎からもこの香りがした。
微かに甘くて、すがすがしい香り。
思わず、言葉が口をついて零れた。だけど、その先は。
その先は考えてはいけない——
莉の香は無理矢理に、思考を閉ざしたのだった。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。