第5話

黒髪撫子のひそやかな悩み
7,108
2019/06/30 04:09
【学校の廊下】
紫崎しばさきとデート(?)をした翌日。
莉の香りのかは髪を編まずに登校した。
奈々
奈々
莉のちゃん、まっすぐでツヤツヤな
髪だねぇ。すごい綺麗〜〜
莉の香
莉の香
ありがとう
莉の香
莉の香
(髪、下ろしたらみんなにも
奈々ななちゃんにも好評で……、

本当にこのほうが似合うんだ……)
莉の香
莉の香
(私はずっと、ママや
奈々ちゃんみたいなふわっとして
明るい髪に憧れてたけど)
莉の香
莉の香
(これも悪くない……のかな)
莉の香
莉の香
(先生は、洋服といい髪といい、
どうして私に似合うものが
わかるんだろう……?)
女子生徒
紫崎先生、おはようございます!
別の女子生徒
おはようございます、先生!
廊下を通りかかった紫崎に生徒たちが気づき、口々に挨拶する。
紫崎
紫崎
おはよう
だが紫崎は、返答こそすれ一瞥もせずに通り過ぎていった。
女子生徒たちだけでなく、莉の香の姿だってきっと視界に入っていただろうに。
奈々
奈々
あの子たち、紫崎先生が
好きなんだね
莉の香
莉の香
ええっ?
奈々
奈々
ほら、先生カッコいいじゃん。
背も高いし
莉の香
莉の香
あんなに塩対応なのに!?
奈々
奈々
そこがいいって女子も
いるんだよ〜
莉の香
莉の香
……っ
奈々
奈々
莉のちゃん?
莉の香
莉の香
……ごめん、ちょっと行ってくる
奈々
奈々
どこへ? もうすぐチャイム
鳴っちゃうよー
莉の香は奈々の声を背に受けて、あからさまにならないよう適度な早足で紫崎の後を追った。
* * * * * *

【学校の渡り廊下】
莉の香
莉の香
……先生!
校舎の別棟へと続く渡り廊下で、莉の香はようやく紫崎に追いついた。
紫崎
紫崎
なんだ、白沢しらさわ
莉の香
莉の香
あ、あの
莉の香は口ごもる。
何かの衝動に駆られて追ってきてしまったが、莉の香自身、それが何なのかわかっていなかった。
紫崎
紫崎
用がないなら俺は行くぞ
口ごもる莉の香を一瞥し、紫崎は足を踏み出す。
莉の香
莉の香
……っ
だが、莉の香が声にならない声をかけたとき、彼はぴたりと動きを止めた。
そして、きびすを返して歩み寄ってくる。
莉の香
莉の香
……あっ
紫崎
紫崎
制服姿に黒髪ロングも、最高だ
彼は莉の香の耳に顔を近づけ、小さな声でささやいた。
莉の香
莉の香
せん……っ
紫崎
紫崎
ではな
紫崎はすぐに莉の香から離れると、身を翻して立ち去ってゆく。
莉の香
莉の香
〜〜……っ
莉の香はささやかれた耳元を押さえ、紫崎の姿が遠くなって行くのをただ見つめていた。
* * * * * *

【自宅マンション】
学校から帰宅した莉の香がハンガーに制服をかけると、ブレザーのポケットから何かの紙切れが飛び出した。
床に落ちたそれを拾うと、見覚えのある一筆箋だ。お香の香りもする。

  『今週末、日曜。
   待ち合わせ場所・時間はこの間と同じ』
達筆だがくずしの少ない読みやすい字。紫崎の字だ。
莉の香の耳元でささやいたとき、ポケットに一筆箋を入れたのだろう。
莉の香
莉の香
(……)
莉の香はしばし一筆箋を手に佇んでいた。
莉の香
莉の香
(……結局、私、

待ち合わせ場所に
行っちゃうんだろうな)
莉の香
莉の香
(たぶん私……)
莉の香
莉の香
(先生に髪を褒められたのが……

嬉しかったんだ……)
朝の始業前通りすがった紫崎が、学校では初めて髪を下ろした莉の香に目もくれなかったことが、寂しかった。
だからつい、追いかけてしまった。
莉の香
莉の香
(ママに似た顔立ちの私。

でも、性格も髪質もぜんぜん違う)
莉の香
莉の香
(だけどみんな、
「ママに似て美人」って
褒めてくれる)
莉の香
莉の香
(……私は、ママとは違うのに)
莉の香
莉の香
(ママとは違う、私のまっすぐな
黒い髪を褒められて……私)
莉の香
莉の香
(きっと、嬉しかったんだ。

だから、また褒めてほしくて……)
莉の香は手にした一筆箋を鼻に近づけ、お香の香りを吸い込んだ。
日曜に抱き寄せられたとき。今日、耳元に口を寄せられたとき。
紫崎からもこの香りがした。
かすかに甘くて、すがすがしい香り。
莉の香
莉の香
私……先生が
思わず、言葉が口をついて零れた。だけど、その先は。
その先は考えてはいけない——
莉の香は無理矢理に、思考を閉ざしたのだった。

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