【自宅マンション】
学校から帰宅した莉の香がまだ夕飯の支度を始める前に、ゆり香が帰宅した。
玄関に置いたままの紙袋を見られてしまい、なんだかばつが悪い。
* * * * * *
【莉の香の部屋】
莉の香は紙袋を勉強机の椅子の上に置いた。
その時、袋の口から漂う何かの香りに気がつく。
気になって覗き込むと、袋の内部、上のほうに小さな封筒があるのが見えた。
莉の香は悩んだが、結局、袋の口を結ぶ紐を解いた。そして、封筒を取り出す。
封筒の口は封がされておらず、逆さにするだけで一筆箋が落ちてきた。
どうやら一筆箋に、お香が焚きしめられているようだ。
そして、その紙面には。
『日曜午前11時、御津原駅の
ロータリーで待つ』
と記されていたのだった。
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【駅のロータリー】
日曜。
莉の香は結局、指定された御津原駅へと向かった。
御津原の駅前はそれなりに栄えているが、都心へ向かうのと逆方向であるからか、見知った顔は見かけない。
ロータリーで佇んでいると、11時5分前に紫崎が現れた。
学校ではネクタイをきっちりと締め、白衣を羽織った姿しか見たことがない。
その紫崎が、浅いVネックのカットソーに綿ジャケットという、カジュアルなファッションをまとっている。
莉の香は結局、紫崎に押し付けられた洋服を身につけやってきたのだ。
莉の香はわずかに俯いた。
不満といえば不満なのだが、それは、紫崎の選んだ洋服が思いのほか莉の香に似合っているからだ。
今まで自分で選んでいた洋服以上に、莉の香の凛とした容姿に華を添えている。
莉の香の髪は母親のゆり香とは違って、スタイルのつけにくい直毛だ。
おまけに真っ黒ときている。
流行のヌケ感のある外国人風スタイルなどにはほど遠く、仕方なくサイドでゆるく編み込んでいる。
紫崎が莉の香に向かって手を伸ばし、髪に指を差し入れた。
紫崎が編み込みを解いてゆく。
なめらかでコシのある莉の香の髪は、痕を残すこともなくするりと解かれてしまった。
紫崎は、莉の香の解いた髪を何度もくしけずった。
その手つきにも声音にも、自然なやさしさがにじみ出ている。
突如、紫崎は莉の香の髪を手にしたまま黙り込んでしまった。
なにやら葛藤するかのようにくちびるを引き結んでいる。
紫崎が真剣な瞳で、莉の香を見つめてくる。
莉の香は思わず背筋を伸ばし、彼の言葉を待った。
やがて。
紫崎は莉の香の髪を愛おしげに撫でて、どこかうっとりとした面持ちで語る。
莉の香が驚いて身を引こうとした、その瞬間。
紫崎は腰をわずかに屈め、手にした莉の香の髪にくちづけた。
思わず後じさった莉の香の肩に、紫崎の手が伸びる。
そして、そのまま軽く抱き寄せられた。
紫崎が素早く身動きし、今度は耳の上の髪にキスを落とされる。
莉の香を解放した紫崎は、どこかすがすがしい表情をしている。
だが、人差し指をたてて莉の香のくちびるを塞いだ。
気勢をそがれた莉の香の小さな告発は、雑踏する街の賑わいに呑み込まれていった。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!