【教室】
2−Aの教室。
授業を受ける生徒達に、物理教師の紫崎基が告げる。
彼が口を噤んだ途端、終業のチャイムが鳴り始めた。
紫崎はいつだって時間に正確なのだ。
莉の香は席から立ち上がり、教室から出てゆく彼の後を追った。
紫崎は軽く瞳をめぐらせたのち、莉の香に尋ねてくる。
莉の香は開いて持っていたノートを指し示した。
紫崎はノートを一瞥し、すぐさま指摘する。
踵を返し、立ち去ろうとする紫崎を呼ぶ。
だが。
クラスメイトで友人の深山奈々が、莉の香に声をかけた。
莉の香が不満げにつぶやくと、奈々は顎に指を当ててうなった。
莉の香は釈然としない思いを抱えつつ、
次の授業の準備を始めたのだった。
* * * * * *
【自宅マンション】
仕事から帰宅するなり、母親のゆり香が
莉の香に向かっててのひらを合わせ、懇願する。
ゆり香は左右の指を胸の前で組み合わせ、潤んだ瞳で莉の香を見つめてくる。
莉の香の黒髪とは正反対の、ゆるくウェーブがかかった栗色の髪。
どこをとっても、17歳の娘をもつ母親には見えない。
* * * * * *
【数日後】
休日にもかかわらず、鏡台に向かいきっちりとメイクをするゆり香に、莉の香は声をかけた。
どこか顔色の冴えないゆり香は、力の入らない声で答える。
ゆり香はこう見えて、小さな企業の役員なのだ。
莉の香は何も言うことができず、ただ沈黙で返す。
父親が亡くなって、ゆり香は女手一つで莉の香を育ててくれた。
年に似合わないゆるふわな母親ではあるが、相応の苦労をしていることは理解しているつもりだ。
ゆり香が突然呻いて、メイクブラシを取り落とした。
ゆり香の顔色は、ファンデーションを塗った上からもわかるくらいに青ざめている。
そしてそのまま椅子から崩れ落ち、お腹を押さえて床にうずくまった。
額に脂汗を流し苦しむゆり香のただごとではない様子に、莉の香は救急車を呼ぶべくスマホに手を伸ばしたのだった。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。