並みの顔、並みの身長、並みの体力
売り上げも並み程度の小説家で、大した取り柄のない私
これは、そんな私が、命がけで日本を守る一人のとある男性に恋をするお話
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チリン,チリン…
店先のベルが新たな客の訪れを知らせる
一人の男が、愛想笑いを浮かべた
私は思わず見惚れてしまう
愛嬌のある穏やかな微笑みは、全世界の女性を落とすためのそれだった
その男は、自らの指先を店内に向ける
誘惑されているかのように足を踏み入れた私は、ここに来た目的などもはや忘れていた
男の視線は私の左手を向いている
突然の質問に困惑した
それと同時に、今日は今月締切の原稿を書きに来たということを思い出した
そう言って男は、メニューの下の方にあるレモンティーを指した
それからはもう、目が離せなかった
締め切りが迫っているということは頭では分かっていても、手がなかなか動かない
結局、レモンティーが運ばれてくるまでの数分間は、一文も書くことが出来なかった
コトン…
その音が私のやる気スイッチを押した
私はレモンティーを一口飲む
レモンの酸味が口一杯に広がり、その後にほどよい甘さが通りすぎていった
それから私はパソコンの画面と向き合い、執筆を始めた
面白いほどに文章が浮かんでくる
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6章を書き終えたところで私は手を止めた
私はうんと背筋を伸ばす
ずっと画面とにらめっこをしていたので、肩がすごく痛い
彼は、テーブルにコーヒーとともに小さいケーキを置いた
私はそのモンブランを一口食べた
栗の甘味が私の疲れを癒す
思わず目を見開く
あっという間に私はモンブランを平らげた
パソコンを片付けて、レジへと向かう
彼が片目を瞑る
にっこりと無防備な笑顔を見せている彼に、私は無意識に名前を訊いていた
彼――――安室さんは、まるで赤ん坊を見守る母親のようにふんわりと微笑んだ
私もつられて笑ってしまう
私は思いきりお辞儀をする
なぜ電車だと分かったのか、疑問に思ったがそれどころではなかった
スマホで時間を確認すると、私が乗る予定の電車の発車15分前だった
驚きすぎて言葉にならなかった
何か返したかったが、時間がなくて会釈をするだけで終わってしまった
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ポアロを出たあと、私は全力で走った
疲れてはいるが、足取りは軽かった
私は少しにやける
駅の西口を通り、改札へと向かう
宛もない自信とともに、私は改札を抜けた
ぎりぎりのところで電車に乗り、一度大きく深呼吸をした
私の人生は、ここから大きく変わっていったのだった
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。