第3話

まだ信用できないけど……
3,128
2021/10/13 04:00


 今日は憂鬱ゆううつな新入生宿泊研修一日目。

 今はバスに乗って宿泊先のホテルに向かっているところだ。

江川 弘桜
江川 弘桜
見て柴野しばのさん、あそこに富士山が見える。今日、快晴で良かったよねー
柴野 由菜
柴野 由菜
……ねぇ、なんであんたが隣の席なの?
江川 弘桜
江川 弘桜
えー? 乗る前に説明したでしょ。出席番号だと教室の席順と同じだから、くじを使ってランダムに決めておいたんだよ
柴野 由菜
柴野 由菜
つまり、まぐれってこと?
江川 弘桜
江川 弘桜
ははっ、まぁ、委員長権限を使ったかもね


 委員長はにこやかな笑みを浮かべ、さらっと不正を働いたことを認めた。

柴野 由菜
柴野 由菜
……あんたみたいに周りには気づかせない独裁者どくさいしゃが一番怖いな
江川 弘桜
江川 弘桜
独裁者って人聞き悪いなぁ。明日まで委員長として頑張るんだから、これくらいのご褒美は貰ったっていいでしょ
柴野 由菜
柴野 由菜
……本当、あんたの言葉のチョイスが気に食わない
江川 弘桜
江川 弘桜
ねぇ、この前まで可愛く「委員長」って呼んでくれてたのに、いつの間にか「あんた」になってない?
柴野 由菜
柴野 由菜
かっ……可愛くない。絶対もう呼ばない
江川 弘桜
江川 弘桜
まぁ、俺的には「あんた」の方が前より距離が縮まった気がして良いんだけどね
柴野 由菜
柴野 由菜
〜〜っ!?


 窓側の席にいる委員長をにらみながら話していると、通路側から肩を叩かれる。

東雲 沙月
東雲 沙月
2人共、そんなに楽しそうに何のお話をしてるの?


 通路を挟んだ隣の席には副委員長が座っている。

 本当になぜだかわからないけど、人気者2人に好かれてしまったようだ。

江川 弘桜
江川 弘桜
柴野さんが俺のこと「あんた」って呼ぶようになってね。前より距離が縮まったなぁって話だよ
東雲 沙月
東雲 沙月
えー! 江川えがわくんうらやましい!
柴野 由菜
柴野 由菜
(羨ましい!? あんたって良い呼び方じゃないよな!?)
東雲 沙月
東雲 沙月
柴野さん、私もそう呼んで!
柴野 由菜
柴野 由菜
え!? いや、副委員長をあんた呼びはちょっと……
東雲 沙月
東雲 沙月
あ、……そう、だよね


 彼女は俯くと、指で涙を拭うような仕草を見せる。

柴野 由菜
柴野 由菜
(泣くほど!?)
柴野 由菜
柴野 由菜
じゃあ、名字で呼ぶのはどう?


 彼女は勢いよく顔を上げ、期待に満ちた表情で私を見つめてくる。

 その目にも頬にも濡れた跡はない。

柴野 由菜
柴野 由菜
ん? 待って今の嘘泣き?
東雲 沙月
東雲 沙月
あ、ごめんね! 女子校ではみんなよくやる冗談だったんだけど……、あんまり良くないよね
江川 弘桜
江川 弘桜
東雲しののめさん、女子校育ちなんだ。たしかにおしとやかな感じとかそれっぽいね
柴野 由菜
柴野 由菜
たしかに、東雲さんそんな感じする
東雲 沙月
東雲 沙月
わぁ~! 由菜ゆなちゃん! ありがとう!


 東雲さんは手で口をおおい、とても嬉しそうに笑ってくれる。

 私はそこでやっと、自分から距離を縮めてしまったことに気づいた。

柴野 由菜
柴野 由菜
(仲良くなるのは避けようと思ってたのに……、つい)
東雲 沙月
東雲 沙月
あーぁ、私も由菜ちゃんの隣に座りたかった!
江川 弘桜
江川 弘桜
残念だったね
東雲 沙月
東雲 沙月
由菜ちゃん、江川くんずっと笑顔のままで引いてくれなかったの。なんか、段々……圧を感じてきてね
柴野 由菜
柴野 由菜
独裁者の脅しか
江川 弘桜
江川 弘桜
だから、人聞き悪いこと言わない。俺もお願いしただけだよ


 その笑顔にまた感嘆の声を漏らしていた東雲さんは、話しかけてきた隣の男子の方へ向きを変えた。

 私はその隙を見て、小さな声で委員長に話しかける。

柴野 由菜
柴野 由菜
もう、こういうのやめてくれない?
江川 弘桜
江川 弘桜
こういうのって?
柴野 由菜
柴野 由菜
……だから、私にちょっかいかけてくるの
江川 弘桜
江川 弘桜
なんで? 柴野さんも多少は楽しそうに見えるけど
柴野 由菜
柴野 由菜
……それでも困る。悪いけど、あんたは特に女子から人気あるから、嫉妬でもされたら迷惑なの
江川 弘桜
江川 弘桜
ふーん、まぁ、わからなくはないよ。幼稚ようちだと悪意を簡単に人に向けるからね
柴野 由菜
柴野 由菜
……じゃあ
江川 弘桜
江川 弘桜
けど、俺はやめない


 急に委員長の雰囲気が変わった気がした。

 いつもの笑顔はなく、彼は真剣な面持ちで私をじっと見つめる。

江川 弘桜
江川 弘桜
もし、そういう女子の嫉妬しっととか面倒事が起きたら、すぐ俺に言って


 こんなことを言われたのは初めてで、私は少し心が揺れた。



 けど、口だけならなんとでも言えるから、まだ信用したらいけない。

柴野 由菜
柴野 由菜
言って解決するわけ?
江川 弘桜
江川 弘桜
俺だけでどうにかできるならするし、できないなら他の方法を考える
柴野 由菜
柴野 由菜
……なんでそこまでして、ちょっかいかけたがるの?
江川 弘桜
江川 弘桜
それは最初に言ったでしょ。柴野さんのこと気に入ったから、知りたいと思ってるだけだよ
柴野 由菜
柴野 由菜
……物好き
江川 弘桜
江川 弘桜
ははっ、まぁそうかもね
柴野 由菜
柴野 由菜
そこは否定しろ




 中学の頃は誰にも相談しなかった。

 周りの友達を信用できなくて投げやりになっていたし、聞く耳を持たない相手に対して解決策なんてないだろう。そう1人で考えて諦めた。



 まだ委員長を信用はできないけど、本当に見捨てず助けようとしてくれるなら心強い。


 けど、怖がりな私は、まだ一歩を踏み出す勇気がない。


柴野 由菜
柴野 由菜
もう、好きにすれば
江川 弘桜
江川 弘桜
うん、ありがとう
東雲 沙月
東雲 沙月
あー、また2人で楽しそう! 私も混ぜて


 今の関係なら、まだもう少しだけ続けてもいいかもしれない。







プリ小説オーディオドラマ