プリ小説

第7話

〈第二章〉
一瞬、頭が真っ白になった。
忘れてしまわないようにと必死で描き続けた、あの人の手。
その手が今。確実に。現実に。
目の前に、ある───。
桜沢千代
桜沢千代
…………っ
その手の主を見ようと勢いよく顔を上げた私は、顔よりも先に視界に映った彼のネクタイを見て、大きく目を見開いた。
(……え? ……噓)
彼の首元にゆるめに締められていた、ネクタイの色は。
記憶の中にある真新しいブルーではなくて、鮮やかな赤色だった。
(え? 赤って、ことは……普通科の……生徒?)
ここだけが記憶と違っていて、混乱した私はじーっと彼のネクタイに見入った。
彼
───おい?
目の前の彼に訝しげに声をかけられて、私はハッと我に返った。
桜沢千代
桜沢千代
あ、ご、ごめんなさい! あ、ありがとうございます!
両手でスケッチブックを受け取りながら、ネクタイで止まっていた視線をゆっくりと上げる。
思ったよりも彼の顔がすぐ近くにあって、ドキッとした私は思わず一歩後ずさってしまった。
少し距離を取ったところで、改めてじっくりと彼の顔に見入る。
(この人が……ずっと探してた人……)
柔らかそうな、焦げ茶色の髪。太陽とは無縁そうな、白い肌。薄めの眉。髪と同じ色の、焦げ茶色の瞳。感情の読み取りにくい、少し下がった口角。
(うわー、うわー、うわー)
絵描きの特技をいかんなく発揮し、私は瞬時に彼の顔の特徴を目で捉えていた。
色々と言葉を並べたけど、全体的にバランスが良く、一言でいえばイケメンだ。
一年間探し続けていた人の顔を間近で見て、私は感動で打ち震えていた。
声をかけなきゃ。……でも、なんて言って声をかけよう?
まずはやっぱり、あの日のお礼をちゃんと言わなきゃダメだよね。
彼
……それじゃ
無言で震えている私を気味悪く思ったのか、彼は短くそう言ってサッと体を反転させた。
私はあわてて、立ち去ろうとする彼の背中に声をかけた。
桜沢千代
桜沢千代
ま…っ、待って……!!
大声で呼び止めると、彼は足を止めてびっくりしたように私の顔を見下ろした。
彼
───何?
桜沢千代
桜沢千代
お、お礼、お礼が、言いたくて…っ
彼
え?
彼は再び、私の方に向き直る。
彼
お礼ならさっき聞いたけど?
桜沢千代
桜沢千代
えっ。あ、いや、さっきのとはまた、別のことで……
すっかり舞い上がり、呼吸すらままならなくなってしまっていて、それを何とか落ち着かせようと私は一度大きく息を吸い込んだ。
彼は小さく眉をひそめる。
彼
は?
桜沢千代
桜沢千代
あ、あの……。入学式の日に私貧血で倒れてしまって、階段から落ちかけて……。その時助けてくれた人がいて、でもお礼も言えなくて、あれからずっと、探してたんです……!
それを聞いた彼は、ゆっくりと目を見張った。
桜沢千代
桜沢千代
打ちどころ悪かったらどうなってたかわからなかったって保健の先生に言われて、どうしてもその人に会って直接お礼言いたかったんですけど、全然見つけられなくて……
彼
…………
桜沢千代
桜沢千代
あの……あなた……ですよね? あの時、私を助けてくれたの……
チラッと彼の反応を窺うと、彼は肯定も否定もせずに何だか少し複雑そうな表情を見せた。
彼
……なんで?
桜沢千代
桜沢千代
え?
彼
なんで、それが俺だって?
桜沢千代
桜沢千代
あ……それは……。手を見て……
彼
手?
桜沢千代
桜沢千代
あ、私、美術科で絵を描いてて……。見たものを瞬間的に覚えるのが得意でですね……
手を見て分かったなんて言ってドン引きされてはたまらないと思い、私は焦りながら言葉を付けたした。
桜沢千代
桜沢千代
あの時、助けてくれた人の手が一瞬だけ見えて、その……時計がすごく特徴的で、印象に残ってて……
彼は無言で一瞬、左腕にはめた自分の腕時計に目をやった。
そうして聞こえるか聞こえないかの小さな声で、そっか……とつぶやいた。
その後、何か言ってくれるのかと思って彼の言葉を待ったけど、彼は何も言わなかった。
───何だろう。
否定しないってことは、あれは自分だって認めてるって思ってもいいんだよね……?
そう解釈した私は、その場で勢いよくガバッと頭を下げた。
桜沢千代
桜沢千代
あのっ、あの時は助けていただいて本当にありがとうございました! おかげさまで、ケガなく今も元気で生活できてます! お礼が遅くなって、すみませんでした!
やっと本人にお礼が言えた…っていう一年分の想いが込み上げてきて、何だかものすごく胸がじーんと熱くなってきたのだけど。
彼
……別に。たまたまそこにいただけだから
そんな私とは対照的なすごく冷めた声が聞こえてきて、私は下げていた頭を上げて、彼の顔を見つめた。
彼は私なんか見ていなくて、目をそらすように地面に視線を落としていた。

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