─────────はぁはぁはぁ‥‥
走り続けている足の感覚が無くて変だ。喉が渇いて痛い。
吐きそうなくらい気持ち悪い。
私は走った。
天下のお膝元と呼ばれるこの江戸の街を。
私は絶対に足を止めない。
まだ走っていないと壊れてしまうから。
まだ走っていないと崩れてしまうから。
私の十五の祝いに、江戸へ行くと家族で約束した。
なのに。それなのに。
こんな形で江戸に来たかった訳じゃないのに───────。
さっきからずっと、街で噂をよく聞く。
その内容は、走っている私に聞くことは不可能‥‥‥というよりは今は何も聞きたくなかった。
ただ、目的を果たす為に私は走らなければならない。
噂を聞く度に、「落城の守人」というワードが聞こえてくる。
───────いや、そんなことはどうでも良い。
私は、残されたこの命を抱えて走るのだ。
随分と長く走った。もう暗い。夜だ。
恐らく、私が今いるこの杜は「ケガレの杜」と呼ばれる所だろう。
鬼が多く住まう杜、それが「ケガレの杜」だ。
─────────ガサッ
突如、背後から物音がした。
─────ケガレの杜、それは鬼が多く住まう杜。
ケガレは人を襲い、喰らう。
それは夜に現れ、人の言葉を喋り、人の形をした化け物。
あの時の悪夢が蘇る。
黒く、赤く、金属が錆びたような匂い。
それが壁に飛び散り、私のよく知る人を中心にそこら中へ広がってゆく。
そして、恐ろしい程の奇妙なアイツの声────。
足が震える。手が震える。動けない。叫びが声にならない。
逃げないと。この化け物から早く─────
ケガレは私一直線に飛び出した。
まだ約束を果たしていない。だからまだ死ぬわけには‥‥‥
私は走った。既にボロボロな足を叩いて、一刻も早く逃げられるように。
風をかき分け、必死に走る。
まだ夜は明けそうになく、ケガレは無我夢中で私を追いかける。
───────ふと、前を見ると鳥居があった。
鳥居の向こうには何段もの石の階段がある。
もしかしたら、隠れられる所があるかもしれない。
私は鳥居をくぐり、石階段を駆け上がる。
階段の段数を数えるという、妹とした遊びも今はできない。
ただ、逃げるのだ。
必死の思いで石階段を駆け上がると、そこには古びた社があった。
──────────グシャッ
突然、奇妙な音と共に、肩に激痛が走った。
ケガレに食べられている。
体を倒され、ケガレが私の上に乗った。
そして、容赦なく私を喰らい始める。
痛い。苦しい。辛い。
─────そうか。皆、こんなに痛かったんだね。
ごめんなさい。助けられなくて。
ごめんなさい。もう約束は果たせそうにないよ。
痛いという感覚が無くなり体が動かなくなった頃、一粒の涙が頬を伝った。
ごめんなさい。皆‥‥‥。
────突然、ケガレの動きが止まった。
私は気になり、思うように開かない目を一生懸命開けた。
首が、落ちている。
そして、首を落とされたケガレの真後ろには、綺麗で長い黒髪を後ろで一つにまとめて、藤色の瞳を持った青年がいた。
青年の手には血の付いた刀が握られている。
‥‥‥ケガレは、この青年に首を落とされたのか?
話しかけたいのに、声が出ない。
その青年の声は、驚くほど綺麗で、透き通っていた。
青年はそう言って私を軽々しく抱き上げると、歩き出した。
すると、私はあることに気付く。
─────────杜が、ない。
さっきまで杜にいたのに。木も、草も、あの石階段も、鳥居も、社も何も無かった。
唯一見えたのは、壊れた家や店から雑草が生えている光景‥‥‥まるで、落城の地だった。
どうやってここまで来たのだろう。
そんなことを考える暇も無く、私は力尽きて青年の腕の中で意識を手放した。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。