お父さんが家を出た後、私と華乃葉は隠れる場所を探していた。
────────キャァァァァァァ!!
隣の家じゃない。前だ。前の家から悲鳴が聞こえる。
────────うわぁぁぁぁぁぁ!!
今度はまた違う所から。
華乃葉の声と手は微かに震えていた。
‥‥‥この家で隠れられる場所は、恐らく三カ所。
押し入れと床下、そして井戸。
押し入れは私と華乃葉、どちらも余裕で入れる。
けれど見つかりやすい。
熊だったら匂いでバレるし、強盗だったら常識的に考えて見つかる。
床下は‥‥‥駄目かもしれない。
小さい時は隠れんぼでよく使っていたけれど、今となっては私はおろか華乃葉でさえも入れない程狭い。
井戸はどうだろう。
熊も強盗も井戸に入ろうとはしないだろうし、縄を使って入れば溺れる心配もない。今は夜だから縄も見えないだろうし‥‥‥
けれど、井戸に隠れられるのは一人だけだ。縄は一本しかないし、二人で一つの縄を使えば縄が切れる。
一番安全なのは井戸だ。
けれど、二人では隠れられない。
私が考え込んでいると、華乃葉が私の顔を覗き込んだ。
もし、この嫌な予感が的中したら。
もし、この家が襲われたら。
助かる確率が高いのは一人だけ。
─────────そうだ。
私はお姉ちゃんだ。大好きな、大好きな、華乃葉のお姉ちゃんじゃないか。
ここで迷ってどうするんだ。
私は、震える華乃葉の両手を握る。
大丈夫。私は長女だ。お姉ちゃんだ。誰にも負けない。私は負けない。
華乃葉はそう言いかけて、口をつぐんだ。
口にして気付いたのだろう。‥‥‥二人では縄が切れてしまうことが。
華乃葉は不満そうな、心配そうな顔をした。
‥‥‥本当、カノは優しいね。
私は笑って華乃葉の背中を叩いた。
私は華乃葉を抱き締める。
抱き締めた華乃葉の手が、私の着物の袖をくしゃっと掴んだ。
その声に、少し胸が痛んだ。
私は、井戸に入った華乃葉に話しかける。
華乃葉の元気な声を聞いて、私は少し安心した。
私は夜空を見上げて、深い呼吸をしてから家に戻った。
押し入れに隠れて数分後、家の入り口からガタッと扉の開く音がした。
少し体が強張る。
‥‥‥誰、だろうか。
突然、名前を呼ばれた。
この声は‥‥‥お父さん?
この声は‥‥‥華乃葉?
井戸から出るなって言ったのに‥‥‥でもきっと、お父さんがもう大丈夫だって言ったんだよね。
外から悲鳴も聞こえなくなったし‥‥‥
私は押し入れから出た時、ある異変に気付いた。
二人の姿が、見えないのだ。
今のは幻聴?いや、そんな感じはしなかった。
それに、私の目の前にいる生き物‥‥‥‥
──────それは、お父さんでも華乃葉でも人でもなかった。
角が生え、尖った歯を持ち、猫のような縦長の瞳孔をした化け物。
お父さんが教えてくれた。
角が生え、尖った歯を持ち、猫のような瞳孔をした化け物。
人々はそれを、鬼と呼ぶのだと。
夜に現れて、人を襲い、喰らう。
違った。
熊でも強盗でもなかった。もっと最悪な化け物だった。
─────────皆は?
お父さんは?カノは?村の皆は?
何でさっきから周りが静かなの?
足が震える。体が動かない。上手く呼吸ができない。
‥‥‥怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!
突然、ケガレが悲痛の声を上げた。
気が付けば、家の中に少し日が差していた。
‥‥‥夜明けだ。
鬼は逃げていった。日陰のある、薄暗い森の中へ。
家を出て、一目散に逃げていった。
あのケガレが来ていた着物には、血が沢山付いていた。
口にも、付いていた。
外は異様に静かだった。
だからだろうか。
‥‥‥‥心臓がやけに五月蝿い。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!