第3話

三話
902
2019/07/07 09:09
 そのとき、大きな柱時計が低くも荘厳な音を奏でる。目をやると、時刻は午後三時だった。
陽道寺
陽道寺
もうこんな時間か。お前達、食事の時間だ。集合ー!
 彼の声に反応して、室内にいる十匹前後の犬達が一斉に動き、陽道寺のもとに集まる。大型犬から小型犬まで大きさも様々であるので、その光景は映画のワンシーンを彷彿させた。

 陽道寺が、棚から大きな袋を取り出す。袋の絵柄を視認するに、それはドッグフードらしかった。
陽道寺
陽道寺
お前達、整列だ!
 犬達が陽道寺の前に、横一列に並ぶ。
陽道寺
陽道寺
よし、点呼をとる。ポチ一号
 わん、と一匹の犬が鳴いて返事をした。
陽道寺
陽道寺
ポチ二号
 わん、とまた別の一匹が鳴いて返答する。
 その光景を、アリスは脳内に疑問符を浮かべながら眺めた。
八代アリス
八代アリス
あの……あれは……
甘田
甘田
毎日ああだから、今から慣れておいたほうがいいよ。ちなみに猫の餌やりは俺担当で、他の動物の餌やりは露月くん担当
八代アリス
八代アリス
ま、まだいるんですか……?
露月
露月
金魚や亀などが。亀はそこらへんを歩いていますので、うっかり踏まないよう気を付けてください
甘田
甘田
陽道寺くんが動物好きでねー。どんどん増えていっちゃうんだ
 甘田は眉尻をさげて笑う。おおらかなのか、すでに現状を諦めているのか、アリスに判断することは難しい。
八代アリス
八代アリス
あの、ポチ一号やポチ二号っていう名前は……
甘田
甘田
ああ、名前が覚えきれないからって、そういうスタイルになったみたい。ちなみに猫はタマ一号、タマ二号っていうふうに名前をつけてる
八代アリス
八代アリス
あそこにゴールデンレトリバーもミニチュアダックスもいるんですけど、あの子達もポチなんですか?
甘田
甘田
あの子達もポチだねぇ
八代アリス
八代アリス
へ、へぇ……
 鮮やかな感性に、すでにアリスはついていくことが出来ていない。
 ドックフードの袋を片腕にかかえたまま、陽道寺は犬達に新たな指示を出した。
陽道寺
陽道寺
よし、全員いるな。では、おすわり!
 横一列に並んだ犬達が、一斉におすわりをする。
陽道寺
陽道寺
伏せ!
 またもこれまでと同様に、犬達が一斉に身を伏せた。
陽道寺
陽道寺
もう一度、おすわり!
 犬達が姿勢を戻す。
 と、不意に陽道寺が片手で銃の形を作った。なにをするのかと思いきや、彼は銃口代わりの人差し指を、列の一番端に座る犬に向ける。
陽道寺
陽道寺
ばーん!
 陽道寺の声と共に、端の犬がぱたりと倒れた。撃たれたつもりらしかった。
 彼は一匹の犬を架空の銃で撃つだけでは飽き足らず、さらにその銃口を犬達へ順々に向けていく。
陽道寺
陽道寺
ずがががが!
 ずいぶんと激しい銃声であった。
 発砲音と同時に指先を向けられた犬達が、従順にぱたぱたと倒れていく。

 妙な光景だった。
 犬達が一匹残らず倒れたのを確認すると、陽道寺は銃口を模した指先を口許に寄せて「ふっ」と息を吹く。銃口から漂う煙を吹き飛ばしているつもりなのかもしれない。
 彼は満足げに告げた。
陽道寺
陽道寺
よし、今日も合格だ、お前達! 餌を入れる器を持ってこい!
 合格の言葉を合図に起き上がった犬達が走り出し、それぞれの器をくわえて陽道寺のもとへ戻っていく。
陽道寺
陽道寺
順番だぞ、お前達。ちゃんと並べ
 この事務所の犬達は余程きちんと躾けられているようで、彼の指示通りに並んで餌を待った。

 全員に餌を配り、皆が食べている様を視認してから、陽道寺は「よし!」と満足そうに頷く。
 そんな光景を、アリスはただ呆然と眺めることしか出来なかった。
八代アリス
八代アリス
……ここは、ドッグカフェでしたっけ?
露月
露月
探偵事務所です
八代アリス
八代アリス
探偵事務所……
 目の前の光景を見てそれと納得できる人間が、一体どれだけいるだろうか。
甘田
甘田
陽道寺くんは、おもに動物関係の仕事を請け負う探偵なのさ。動物が関わる仕事なら、彼はわりと柔軟に対応するよ
八代アリス
八代アリス
……そういえば、私と陽道寺さんが会ったときも、陽道寺さんは魚をくわえた猫を追いかけていました
甘田
甘田
だろう。つまり、彼はそういう探偵なのさ
 アリスは陽道寺に視線を戻す。彼は、まるで生徒を見る教師のように、はたまた子供を見る親のような眼差しで犬達を見守っていた。
八代アリス
八代アリス
……では、甘田さんと露月さんは、どういった……
甘田
甘田
ああ、俺は恋愛担当の探偵
八代アリス
八代アリス
……恋愛?
甘田
甘田
そ。まぁよくあるのが、浮気調査とかそういうのだよね。こう見えても俺は、恋多き男でね。恋愛に関することは得意なんだよ
露月
露月
甘田さんは学生の頃、十四人もの女性と交際していた時期があるそうです
八代アリス
八代アリス
……合計で十四人ってことですか?
露月
露月
いえ、同時に十四人です
八代アリス
八代アリス
……は?
甘田
甘田
あっはっは。あの頃は大変だったよ。毎日ふたりの女性とデートする日々だった。それも、皆に感付かれることなく、だ
八代アリス
八代アリス
ただのクズじゃないですか
露月
露月
ええ、ただのクズです
甘田
甘田
ひどいなぁ、ふたりとも。もっとも、付き合ってた人数が人数だから、修羅場はもう凄惨たるものだったけどね。はっはっは
 怒り狂った十四人の女性に囲まれる甘田を想像して、アリスはなんとも言えない気持ちになる。
 敢えてコメントは避け、アリスは露月に話題を転じた。
八代アリス
八代アリス
……では、露月さんはどういう……
露月
露月
私は、心霊関係の仕事をおもに請け負っています
八代アリス
八代アリス
……心霊関係?
露月
露月
はい。いわゆる、ホラー現象です
甘田
甘田
露月くんは霊感とやらがあるらしくてね。そっち方面の専門家なんだよ
八代アリス
八代アリス
……もしかして、さっき下さった数珠も……
露月
露月
はい。この事務所には私がいるからか、なにかと心霊現象が多くて
八代アリス
八代アリス
なんですって?
露月
露月
なにかと心霊現象が多くて
八代アリス
八代アリス
心霊現象?
甘田
甘田
ラップ音とか日常茶飯事だよ。誰かの視線を感じることもよくあるし。ああ、べつに悪さをするわけじゃないから、気にしなくていいと思うけど
八代アリス
八代アリス
いやいや、気になりますよ
露月
露月
目に見えない同居人達と思っていただければ
甘田
甘田
すぐに慣れるだろうしね
 言って、甘田と露月は軽く笑い合う。
 この事務所に来てまだ三十分と経っていないが、早くもアリスは不安になっていた。いくら住み込み可能でまかないまで出るとはいえ、本当にこんな場所で働いて大丈夫なのだろうか。

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