第6話

六話
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2019/07/28 09:09
 依頼人の家への道を影宮と歩きながら、アリスは深いため息を吐いた。
八代アリス
八代アリス
はぁぁ……。どうしてこんなことに……
影宮
影宮
こっちの台詞だ。まったく……なんであんなやつが事務所の責任者なんだ……
 呟いて、彼はアリスを横目で軽く睨む。
影宮
影宮
先に言っておくが、間違っても邪魔だけはするなよ
八代アリス
八代アリス
わ、わかってますよ
 出会ったばかりの人間に何故こうも邪険にされなくてはいけないのか、アリスは納得がいかない。せめて同行の相手が甘田か露月であったなら――と、何度目になるかわからない愚痴を胸中でぼやく。

 すると、陽道寺から受け取ったメモを見ながら歩いていた影宮が、不意に一軒の家の前で立ち止まった。
影宮
影宮
……ここだな
 アリスは目的の家屋を見上げる。依頼主の住居は、田舎ならどこにでもある普通の一軒家であった。
 さっそく影宮が呼鈴を押す。
影宮
影宮
すみません、陽道寺探偵事務所の者ですが
 インターホン越しの短い応答ののち、すぐに玄関が開いた。引き戸の向こうに立っていたのは、見るからに優しげなひとりの老女である。
田中
あら、もう来てくださったんですか。ありがとうございます
影宮
影宮
田中さん……で、よろしいですか?
田中
はい、田中でございます。どうぞ、あがってくださいな
 促されるまま、ふたりは依頼人の家にあがり、そのまま居間まで進んだ。
田中
今お茶を淹れますので、少々お待ちくださいね
 言って、彼女は台所に戻っていく。
 アリスは室内を見回した。家の外観同様、普通の居間である。ちゃぶ台も、影宮とアリスが腰をおろしている座布団もありふれたもので、とくに気になるところもない。

 影宮が掃き出し窓に目をやった。ガラス越しに、草木が生い茂っている庭が確認できる。
影宮
影宮
……あれが例の庭か
八代アリス
八代アリス
たしかに葉っぱがワサワサしてて、誰か来たら音で気付きそうですね
 立ち上がって窓に進んだ影宮が窓を開けて、庭を見回した。
影宮
影宮
……木々の向こうには塀。庭に入るには、玄関のほうから回り込むしかなさそうだな
八代アリス
八代アリス
木を揺らさないように、こっそり塀を乗り越えるっていうのは……?
影宮
影宮
出来なくはないだろうが、慎重に動かなくてはならないぶん時間が掛かる。時間が掛かれば、それだけこの家の主に見つかる可能性も高くなる。安全とは言い難いな
八代アリス
八代アリス
そっか……
影宮
影宮
そもそも、犯人は何故この庭に血濡れの鍵なんて置いていったんだ?
八代アリス
八代アリス
そりゃ、なにかの犯罪の証拠を隠すため……
影宮
影宮
馬鹿か、お前は。他人の家の庭にこっそり埋めるならまだしも、見ればすぐに気付かれるような場所に残していくんじゃ、隠したことにならない。それなら【落としていった】と仮定するほうが、まだいくらかマシだ
八代アリス
八代アリス
落とすって、鳥じゃあるまいし。そんなところへ、どうやったら落とせるっていうんですか
影宮
影宮
わかっている。例え話だ
八代アリス
八代アリス
……それにしても、血に濡れた鍵なんて……。まさか、近くで殺人事件でも起こったんじゃ……
影宮
影宮
否定は出来ないな
八代アリス
八代アリス
こ、怖いこと言わないでくださいよ……!
影宮
影宮
可能性の話をしているだけだ。怖いなら帰れ
八代アリス
八代アリス
帰ったらバイトをクビにされちゃうので、帰れないんです!
影宮
影宮
まったく……。ただでさえ家が焼けて不幸の真っ只中だというのに、その上あの事務所のバイトに入るとは。お前、前世でどんな悪行を働いたんだ?
八代アリス
八代アリス
前世の記憶は保持してないので、わかりません
影宮
影宮
それもそうだ
 言い合っているうちに、盆に湯飲みとお菓子を乗せた田中が戻ってきた。
田中
すみません、お待たせしました。おまんじゅうしかないんですけど、もしよかったらどうぞ
八代アリス
八代アリス
おまんじゅう大好きです! いただきます!
 一応探偵の助手として来ているのだから、おとなしくしておいたほうがいいのかもしれないと思わないこともなかったが、アリスは洋菓子よりかは和菓子を好むたちであったので、まんじゅうを嬉しく思う気持ちを隠すことは難しかった。

 アリスはさっそくまんじゅうを頬張り、緑茶をすする。甘い和菓子には、やはりこれである。
 影宮がなにかを言いたげにそんなアリスを眺めていたが、結局なにも言わずに茶でくちを軽く湿らせて、話を切り出した。
影宮
影宮
さっそく、依頼の件なんですが。……なんでも、気付けば庭に血に濡れた鍵が落ちていたとか……
田中
はい……。これなんですけど……
 言って、彼女はちゃぶ台のすみに置かれていた折り畳んだハンカチを引き寄せ、それをひらく。
 中には、たしかに不気味に黒く汚れたひとつの鍵があった。
八代アリス
八代アリス
うわぁ……
影宮
影宮
これを発見したのは、いつ頃ですか
田中
今日のお昼過ぎです。このちゃぶ台の前で立ち上がって何気なく庭を見たら、なにかが光った気がして。それで、よく見ると……
影宮
影宮
これが落ちていた、というわけですね。この庭は、頻繁に確認なさるんですか?
田中
確認というほどでもないんですけど……。家にいるあいだは居間にいるか台所にいるかで。……あ、朝に庭の植物に水やりに出たときには、こんなもの落ちてなかったと思います
影宮
影宮
……なるほど
田中
薄気味悪くて、近所の人にも尋ねてみたんですけど、誰も知らないって……
影宮
影宮
……ふむ。田中さん、この鍵、少し預かっていてもよろしいでしょうか?
田中
ええ、もちろんです。なんだか、持っているのも怖くて……
影宮
影宮
それから、庭を調べたいのですが
田中
ご自由になさってくださって結構です
影宮
影宮
ありがとうございます。……おい、行くぞ
八代アリス
八代アリス
え? あ、私ですか?
影宮
影宮
お前以外に誰がいるんだ。さっさとまんじゅうを飲み込め
 言われて、アリスは緑茶でまんじゅうを喉の奥に流し込んだ。和菓子の甘みを緑茶の爽やかな渋みで洗い、すっかり気分は爽快だ。
八代アリス
八代アリス
っぷはー。おいしいお茶とおまんじゅうでした。ごちそうさまです!
田中
あらあら。こんなもので喜んでもらえたなら嬉しいわ。こちらこそ、ありがとう
 微笑む田中にアリスは頭をさげて、早々に玄関へと向かう影宮のあとを追った。

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