何かの冗談だろうか。まさか彼の口からそんな単語を聞く日が来るなんて思いもしなかった。3食5キロ以上の食事を摂っても満腹が分からなくて間食を摘んでいた彼が今なんと言った?お腹いっぱい?まさか人でも食べてきたんじゃなかろうか。問えばそんなもの食べてない、と一蹴。いまいち信用に欠けるが、確かに帰ってきてから冷蔵庫を開ける仕草もない。お腹に手を当ててふぅ、と苦しそうにため息をついているじゃあないか。嘘ではない事は、聞かずともわかる。
スマホの画面を見せられると、大食い番組の出演依頼のメッセージが入っている。収録日が今日になっている。なるほど、行ってきたのか。もう一度大きくため息をついてソファに座るあなた。そのまま横になってニヤニヤと気持ちが悪い。
こんなに苦しくてこんな満たされてるんだ。とどこか楽しげで。食べることが好きな彼にとってこの上ない幸福なのかもしれない、はじめての満腹感というものは。側に座り顔にかかる横髪を耳にかけてやる。にひ、と笑った彼に釣られて自分も笑ってしまう。
だって、君のはじめては何でも自分が欲しいのに。重だるそうにソファから体を起こして頭をわしゃわしゃと撫でられる。ヤキモチ妬き、独り占めっこ、と軽く揶揄されて。やや乱暴に撫でられて潰れた髪が視界を遮る。にへ、とだらしなく笑う彼が視界の隙間から覗く。
信じろって、な?
そんな風に小首を傾げて言われてはもう此方は何もできなくなる。彼には甘くなってしまう。惚れた弱みというべきか、…その首をこてんと傾げる仕草が可愛らしくて不満もどうでも良くなってしまった。頬にちゅ、と一つキスを落とされる。そしてご飯あっため直そうな、とキッチンへと向かう彼。自分の分と、彼は紅茶だけを淹れて。
ええ、なんで?と不満気に眉を顰める。オレちゃんも、馬鹿にならない支出は一旦審議したいです。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!