ヒイラギさんの祭りが予定されている二日前の朝、莉音は窓の外から聞こえてくる風の唸り声で目を覚ました。
ベッドから身を起こし、カーテンを開けると、外の景色が強い風と雨によって揺さぶられているのが確認できる。
なにかが飛んできては危険だと判断し、莉音はあわてて雨戸をおろした。
そうしてリビングへ移動すると、テレビに目をやっていた母親が莉音を振り返る。
席に着き、母が用意してくれていた朝食の食パンをかじる。テレビでは、全国の台風の被害が次々と報告されていた。今回の台風も、無遠慮な猛威を振るいながら日本を横断しているらしい。
仕方がないということは、莉音も重々理解している。この調子だと、明日や明後日は学校の片付けをしなければならないかもしれない。仮にそうなれば、とてもヒイラギさんの準備をしている余裕などはなかった。
わかってはいるのだが――やはり、罰当たりに思える感情が晴れることはない。それとも、己や乃神のように感じるほうが少数派なのだろうか。莉音は胸中で小首を傾げた。
結局、この日にやってきた台風は大型のものとなり、怪我人は少なかったものの、大きな被害を受けた地域は予想以上に多い結果となった。
学校のほうは、案の定とでも言うべきか、台風のせいで様々なものが吹き飛び、破壊されて、なかなかにすさまじい状態となっていた。いったいどこから飛んできたのか、その出所さえもわからないものも多数グラウンドに転がっており、中には飲食店の看板さえもあった。
これでは、さすがにヒイラギさんどころではない。
学校側もそう判断したらしく、半ば予測していたことではあったが、今年のヒイラギさんの祭りは中止になることが早々に伝えられた。
この決定に生徒達が難色を示すことはなく、片付けに忙しい中、ヒイラギさんの話題を口にする生徒も多くはなかった。
ヒイラギさんの中止よりも、そんな事実が、莉音にはどこか寂しく感じられたのであった――。
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出し抜けに声を掛けられて、莉音ははっと我に返った。
ヒイラギさんの中止が決定してから、四日。莉音は教室の自分の席にいた。
弁当箱を片手に、夢菜が莉音を見下ろしている。昼休みなのだ。
夢菜が呆れた表情で、ため息をつく。
ぎくりとして、莉音は曖昧に笑う。さすがと言うべきか、莉音の考えていることなど夢菜にはお見通しのようだ。
隣の席で自身の弁当箱を開けながら、乃神が眉尻をさげつつ微笑む。
わかっている。わかってはいるのだ。しかし、どう自分を納得させようとしても、それがうまくいかない。
心は思考で支配できるものではないのだという事実を、莉音は身をもって知った。
そのとき、急に教室内に不穏なざわめきが満ちる。それを不思議に感じていると、乃神の隣にいた紅城が、窓の外を指差した。
彼の指差す先――屋上に目線を投じて、莉音は息を呑む。
そこには、ひとりの女子生徒が佇んでいた。
彼女はフェンスを越えた、屋上のふちに立っている。普段、屋上に通じる扉には鍵が掛かっているため、生徒は屋上に出ることは出来ない。にもかかわらず、見知らぬ女子生徒は何故か、そこに立っていた。
いや、何故か――という疑問は、訂正すべきだろう。屋上のふちという危険な場所に立つ理由など、どう考えても多くはない。まさか、そんなところでテスト勉強をするつもりでもあるまい。
教室内に、誰かの悲鳴があがった。それに呼応するように次々と悲鳴が連なり、室内は瞬く間に混乱の渦に巻き込まれる。
隣の教室からか、教師が窓から屋上の女子生徒に向けて、声を荒げた。
危険だ、戻ってこいと訴えられても、屋上の女子生徒は応えない。
すると、無反応だった彼女が、不意に動いた。ぼんやりと正面だけを眺めていた顔をゆっくりと動かし、莉音達のいる方向を見やる。
距離が離れているため、相手が正確にどこを見ているのかはわからなかった。ひょっとすると顔をこちらに向けているだけで、どこも見ていないのかもしれなかった。
そんな女子生徒の唇の端が僅かに持ち上がり、彼女は双眸を細める。
――笑ったのである。
莉音は、ぞっと背筋が粟立ったのを自覚した。そんな状況で笑える相手の心境が、まるでわからなかった。
そして、その微笑が合図であったかのように、女子生徒はそのまま屋上から落下する。
教室内の悲鳴と混乱が、一気に破裂した。
反射的に窓辺に駆け寄り、落ちた女子生徒を確認した莉音は、直後に後悔する。
彼女の体は血にまみれて、手足がおかしな方向に曲がっていた。まるで、人間の体ではないようだった。
数人の教師達が、そんな人形にも似た女子生徒に駆け寄る。
教室や廊下は取り乱した生徒達ですっかり混乱を極めており、教師達が落ち着くようにと声を張り上げても、焼け石に水だった。
じきにやってきた救急車が女子生徒を運んでいく様子を、莉音は夢菜達と共に、ただ呆然と見送る。
一部始終を見ていたはずなのに、なにが起こったのかが理解できなかった。
救急車がサイレンの音を響かせながら、学校から遠ざかっていく。
落下する前に見せた女子生徒の不気味な微笑が、莉音のまぶたの裏に焼きついていた。
サイレンの音が、耳の奥で反響する。
その音の残響は、しばらく莉音の耳に残った。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!
転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。