第6話

六話
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2019/07/09 06:09
柚木莉音
柚木莉音
なっ……なに言ってるの、夢菜ちゃん
星川夢菜
星川夢菜
考えてもごらんなさいな。氷室さんのおっしゃることが事実なら、祭りは十数年間きちんとおこなわれていたということ。にもかかわらず、今年祭りを執りおこなえなかっただけで、この有り様です。
ならば……柊華香は、すでに悪霊と言っても過言ではないのではなくて?
 彼女に反論することが叶わず、莉音は氷室に目をやった。
 氷室は眉根をきつく寄せ、難しい面持ちで夢菜を見る。
星川夢菜
星川夢菜
彼女は、たしかに不幸な事故で亡くなったのでしょう。未練もあったかもしれません。ですが、だからといって無関係な生徒達を……それも数えきれないほどの生徒達を犠牲にしていい理由にはなりませんわ
柚木莉音
柚木莉音
そ……れは……
紅城
紅城
……星川の言う通りだ
 紅城の呟きに、乃神が無言で彼に視線をやった。
紅城
紅城
祠も建てた。祭りもした。今年ヒイラギさんが出来なかったのは台風の被害のせいであって、誰かが悪いわけじゃない。つまり、柊華香の霊は、そんなことすらもわからずに生徒を次々と自殺に追い込んでるってことだろ。
……そんなのは、星川の言う通り、ただの悪霊だ
柚木莉音
柚木莉音
紅城くんまで……
 それまで黙って聞いていた乃神が、紅城に顔を向ける。
乃神
乃神
……なら訊くけど、仮に柊華香を悪霊として、排除することにして……それで? 具体的には、どうするの。なにをするにしても、成功する保証はあるの? 彼女を怒らせて、事態がますます悪化する可能性だってゼロじゃない
紅城
紅城
んなこと、やってみなきゃわからねぇだろ
乃神
乃神
やってみて、悪化したらどうするの。自分や、この中の誰かが次の犠牲者になる可能性もあるってこと、紅城くんわかってる? 僕達だって、いつどうなるかわからないんだよ
 この台詞に、紅城は口を噤んだ。莉音もぎくりとする。
 そう、連続自殺という魔の手が自分達を避けてくれる保証など、微塵もない。そんなものは、ただの希望的観測だ。明日――いや、今日にだって、この中の誰かがヒイラギさんに捕らわれてしまう可能性も、決して低いとは言えないのである。

 たまたま、今日まで四人が無事にいられただけの話だ。
 黙った紅城に代わって、夢菜が乃神に挑む。
星川夢菜
星川夢菜
なら、乃神くんはどうするのが最適だとお考えですの?
乃神
乃神
もう一度、祭りをおこなうべきだと思う。今の段階だと、それが一番たしかだ。下手なことをすれば、藪蛇になりかねない
星川夢菜
星川夢菜
祭りをして、それをまた何年も繰り返して、ヒイラギさんにおびえていろって言いますの? 人間の理屈が通じない相手に?
乃神
乃神
だからこそだよ。人間の理屈が通じないってことは、なにをしてもおかしくないってことだ。そして、なにより忘れちゃいけないのは、僕達よりもヒイラギさんのほうが強者だという絶対的な事実だよ
星川夢菜
星川夢菜
それが気に食わないんですわ。どうしてなにも悪いことをしていない私達が、相手の顔色を窺わなくてはいけないんですの? 排除する試みは、たしかに成功の保証はありません。
ですが、それをしなければ私達は……いいえ、あの学校に通う生徒達は、ずっとヒイラギさんにおびえたままです。こんなこと、許されていいわけがありません!
 ふたりのやり取りに言葉をはさむことが出来ず、莉音はすがる気持ちで氷室の名を呼ぶ。
柚木莉音
柚木莉音
ひ、氷室さん……
 思慮深げにしばし口を閉ざしていた氷室が、懊悩するふうに前髪を掻き上げた。
氷室
氷室
……ふたりの言い分は、わかる。それぞれの言っていることは、もっともだ。だが……
 彼は目を伏せ、片手で口許を覆う。
氷室
氷室
祠を建て、十数年間祭りを執りおこなってきたにもかかわらず、柊華香の霊は過去と同じ状況を今も作り出している。それほどの存在を……果たして、そう簡単に排除できるものかどうか……
星川夢菜
星川夢菜
だからといって、やる前から諦めるのはいかがなものかと思いますわ。色々と調べれば、解決の手掛かりが掴めるかもしれません。これから先だって、今年のように自然災害などでヒイラギさんが出来なくなる可能性があります。そのたびに今のようなことを繰り返されては、学校から生徒がいなくなってしまいますわ!
そうやって学校から生徒がいなくなり、学校が取り壊されることになれば……どうなるんですの? 廃校になれば当然、祠の手入れをする者さえいなくなります。そして、ヒイラギさんは暴走しようにも、すでに生徒はいない……
 紅城が、はっとする。
紅城
紅城
生徒がいない状況でヒイラギさんが暴走すれば……どうなるんだよ。その矛先は、誰に向くんだ。過去に学校に通っていた生徒か? それとも学校の関係者か?
星川夢菜
星川夢菜
あるいは――無関係な、近隣のひと達
 このとき、莉音は自身の背中を冷たいものが這い上がってくるのを感じた。

 ――恐怖である。

 話し合いは出来ず、人間の理屈も通じないものが暴走してしまえば、その先に待っているものは、いったいなんなのだろうか。なにをどうすれば、その暴走は止まるのだろうか。すべてを破壊し尽くすまで――止まらないのだろうか。

 室内に、沈黙が満ちた。
 先程までは意識すらしていなかった時計の秒針の音が、異様に大きく聞こえる。
 氷室が小さく息を吐いた。
氷室
氷室
……なるほど
 それから僅かな間を置いて、彼は述べる。
氷室
氷室
……わかった。俺が……柊華香の排除の方法を調べよう
柚木莉音
柚木莉音
ひ、氷室さん……っ
乃神
乃神
危険じゃ……
氷室
氷室
危険なのは承知の上だ。だが……今そこの彼女が言ったように、このままじゃ学校が廃校になりかねない。じきに、転校する生徒達も出てくるだろう。十数年前も、そうだった。
登校を拒否する生徒も出てくるはずだし、子供を学校に行かせないようにする保護者も増えていく。そうして……最終的には、休校になるだろうな
柚木莉音
柚木莉音
氷室さんのときも……そうだったんですか?
氷室
氷室
ああ。当時担当していたクラスの半分が空席になった。もう授業どころじゃなかったな
 過去を思い出すふうな眼差しで、氷室は苦笑した。
氷室
氷室
一応、俺は連続自殺がおさまるまで学校にはいたが……事件のあとには、教師をやめた。……逃げたんだよ。
……学校で自殺する生徒も多かったから、生徒の自殺の瞬間を何度も目撃したし、遺体だって見た。……考えられるか? ほんの数十分前に会話をした生徒が、もの言わぬ肉の塊になるんだ……
 自分の掌に目線を落として、彼は続ける。
氷室
氷室
夜は眠れなくなるし、たとえ眠れたとしても、悪夢で目が覚める。あのときは、教師も生徒も皆そんな感じだっただろう。学校に通い続けていた生徒達は、本当によく頑張ったと思うよ。
頭が……おかしくなりそうだったな。あの事件以来、俺は肉が食えなくなった
 乾いた声で、氷室は笑う。
氷室
氷室
……だから……柊華香の排除の方法を調べるのは、俺の些細な罪滅ぼしだ。さすがに今あの学校に通っている生徒に、こんな危険なことはさせられない。このヒイラギさんの件に関しては、教師や学校の関係者――つまりは大人よりも、生徒のほうが遥かに危険だからな
乃神
乃神
そう……なんですか?
氷室
氷室
ああ。今のヒイラギさんの犠牲者の中に、教師はいるか?
 問われて、莉音は感付く。
柚木莉音
柚木莉音
……いない……、い、いません。自殺してるのは、みんな生徒です……!
氷室
氷室
だろう。十数年前も、そうだった。何故か犠牲になるのは生徒ばかりで、教師をふくめた大人の犠牲者は出ない。……精神的に追いつめられて、遺書を残し自殺した教師はいたがな。
でも、ヒイラギさんの犠牲者の特徴のひとつは、遺書がないことだ。少なくとも、十数年前のときはそうだった
乃神
乃神
それは、今も同じです。自殺した生徒の中に遺書を残した子がいたという話は、今のところ聞いていません
 乃神の言葉を受け、氷室は頷いた。
氷室
氷室
つまり、事件を調べたり解決の糸口を探すのは、子供がするよりも大人がしたほうが安全だということだ。……探してみなければ、本当に解決の手掛かりが見つかるかどうかはわからないが――ここは、俺にまかせてくれないか
 彼の言葉に四人はそれぞれ目配せをし、そうして首を縦に振る。
星川夢菜
星川夢菜
……わかりました。では、ヒイラギさんの排除の方法を調べる作業は、氷室さんにおまかせしますわ。代表して私の連絡先をお伝えしますから、なにかわかればご連絡ください
氷室
氷室
ああ。俺の連絡先も伝えておこう。なにか訊きたいことがあれば、いつでも連絡してくるといい
 言って、ふたりは連絡先を交換し合った。
 それを解散の合図に、莉音達は氷室の自宅をあとにする。

 思いのほか長く話し込んでいたようで、空はすっかり鮮やかな橙色に染まっていた。周囲の木々の葉が秋の風に揺れて、どこか寂しげな音をたてる。

 そんな音にまじって、莉音は風鈴の微かな音を聞いた気がした。音は遠く、たしかではなかったけれど、訊き慣れた旋律が風の奥からそっと莉音を手招いたふうな、そんな気がした。
 振り返り、足を止めた莉音を、紅城が不思議そうに見る。
紅城
紅城
……どうした? 柚木
柚木莉音
柚木莉音
あ……ううん。なんでもない
星川夢菜
星川夢菜
前を向いて歩かないと、転びますわよ
乃神
乃神
柚木さん、ドジなところあるしね
柚木莉音
柚木莉音
ひ、ひどいよ
 今しがたの風鈴の音は、他の者には聞こえなかったのだろうか。それとも――莉音の気のせいだったのだろうか。
 内心で首を傾げながらも、莉音はそれを皆に訊くことが叶わなかった。どうして訊けなかったのかは、自分でもよくわからない。

 ただ、控えめな風鈴の音が寂しく耳にこびりつき、莉音の心に僅かなわだかまりを確かに残したのだった。
 頬を撫でる風は、いささか冷たい。

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