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第1話

一話
4,197
2019/06/04 06:09
 ――次の台風、ヒイラギさんの日に直撃するんじゃないか?
 ――予定ずらすか?
 ――いや、台風の規模を考えると、ヒイラギさんを無事におこなえるかどうかも……。

 ――たしかに。前の台風の復旧、まだ終わってない地域も多いらしいし。
 ――だからって、ヒイラギさんをやらないわけにも――。

 職員室から漏れてくる教師達の会話を聞くともなく聞きながら、柚木莉音ゆずきりおんは扉に手を掛けた。
柚木莉音
柚木莉音
失礼しまーす
担任
……ああ、柚木か
 担任の教師のもとに進み、莉音はかかえていた一冊のノートを手渡す。
柚木莉音
柚木莉音
すみません先生、これ提出し忘れちゃってたノートです
 ノートを受け取った教師は頷き、莉音に笑みを返した。そんな相手を認めて、莉音は尋ねる。
柚木莉音
柚木莉音
あの……。ヒイラギさん、今年は出来ないんですか?
 集まって話をしていた教師達が、難しい表情を作ってうなった。
担任
やりたいのは山々なんだが……。やっぱり学校側としては、生徒の安全を第一に考えないわけにはいかないからなぁ……
数学教師
次の台風の様子を見て、日程をずらすことは考慮するが……
担任
うん。けど、台風の被害が予想以上に大きくなる可能性も充分に考えられる。そうなったら、復旧作業だのなんだので、ヒイラギさんどころじゃなくなるかもしれないなぁ……
 体育教師が腕を組み、自身の顎を撫でながら言う。
体育教師
とりあえず、台風がヒイラギさん当日にぶつかるようだったり、ヒイラギさんの前に来るようだったら、準備も全部あと回しだな
柚木莉音
柚木莉音
台風で、色々飛んでっちゃいますもんね
 教師は小さく笑った。
体育教師
そういうことだ。風鈴があっちこっち飛んでいったら、割れて危ないしな
 苦笑しながら、彼は肩を竦める。それらの様子から、自然災害には教師達も頭を痛めているらしい事実が伝わってきた。
 莉音はそれから教師達と軽く言葉を交わし、そうして職員室をあとにする。

 廊下の窓際を歩きながら自分のクラスへ戻る途中、ふと足を止めて、窓から外を見やった。
 視線の先――校舎の裏側には、小さな祠が建っている。その祠の周囲には一年を通して風鈴が飾られており、一年中すずしげな音を奏でているのだった。

 この祠には「ヒイラギさん」が祀られている。学校に通う生徒で、ヒイラギさんを知らない生徒はおそらくほとんどいないだろう。
 ヒイラギさんとは、莉音が通う高校の守り神だ。この学校では一年に一度、ヒイラギさんに感謝をする祭りがおこなわれるのである。

 祭り自体は比較的新しいもので、始まったのも十数年前であるらしい。何故この儀式がひらかれるようになったのかは知らないけれど、それを気にしている生徒は多くはないように感じる。

 毎年この時期におこなわれる祭り――通称「ヒイラギさん」が、今年は台風の影響で開催できないかもしれない。職員室での教師達の話し合いは、つまりはこういうことだった。

 なんとなく、莉音は落ち着かない気持ちになる。
 ヒイラギさんは、学校の守り神に感謝をするための祭りだ。それをしないことは、なんだかひどく罰当たりなように思えてしまうのだった。

 微風が、木々をざわざわと揺らす。その音にまじって、いくつもの風鈴の音が響いてきた。
 夏を過ぎると、風鈴の清音は途端に寂しく感じられる。
 今は秋だ。過ぎ去った夏を、風鈴が悲しんでいる――。そんなふうにも、聞こえてしまうのだった。

 りーん、と高い音が、周囲の音の隙間をくぐって、莉音の耳まで届く。
 先ほど職員室であのような話を聞いたせいか、なんだかその清らかな音が、どこか不穏に聞こえた。
 耳の奥で、風鈴の音が反響する。

 まるで――なにかの始まりを、伝えるように。

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 自身のクラスの扉をひらいた莉音を、友人が小さく唇を尖らせて振り返った。
星川夢菜
星川夢菜
遅いですわよ、莉音。お昼、先にいただいてますわ
 星川夢菜ほしかわゆめなである。彼女は莉音の席に自らの椅子を運び、そこで昼食の弁当を広げていた。
柚木莉音
柚木莉音
ごめんごめん、ちょっと先生達と話してたの
星川夢菜
星川夢菜
それは、私と一緒にお弁当を食べるよりも大切なお話なのかしら?
 拗ねた態度の夢菜が、つんとそっぽを向く。
 彼女に謝罪をしながら、莉音も己の弁当を机の上に広げた。
柚木莉音
柚木莉音
そういえば、先生達が言ってた。今年は台風のせいで、ヒイラギさんが出来なくなるかもって
星川夢菜
星川夢菜
そう
柚木莉音
柚木莉音
そうって……それだけ?
星川夢菜
星川夢菜
他になにがあって?
柚木莉音
柚木莉音
だって……
紅城
紅城
――べつに、そんなのやってもやらなくても、どっちでもいいだろ
 隣の席から割り込んできた声に、莉音は顔を向ける。
 そこで昼食をとっていたのは、同じクラスの男子生徒である紅城べにじょうだった。
柚木莉音
柚木莉音
紅城くん……
星川夢菜
星川夢菜
ま、そういうところですわね。むしろ、どうして莉音がそこまで気にしているのかがわかりませんわ
柚木莉音
柚木莉音
だ、だってさ……
乃神
乃神
なんか、罰当たりな気がしちゃうよね
 新たに聞こえた柔らかな声調は、紅城と共に食事をしていた男子生徒の乃神のかみである。
 彼の穏やかな肯定に、莉音は頷いて返した。
柚木莉音
柚木莉音
そ、そう。そうなの
乃神
乃神
ちょっとわかるよ。ヒイラギさんの詳しいことは僕わからないけど、それでも守り神――神様であるのに変わりはないわけだし
紅城
紅城
お前、そういうの信じるタイプ?
乃神
乃神
わりと信じるけど。そういう紅城くんは、信じなさそうだよね
紅城
紅城
だって、見たことねーもん。神様なんて
 返して、紅城は紙パックのいちごミルクを音をたてつつ飲み干した。
 紅城に向けて人差し指を立てながら、乃神が言う。
乃神
乃神
見えるものだけが全てじゃないよ。ほら、真心とか。見えなくても大事だし
紅城
紅城
お前が言うとなんか胡散臭いし、神様と真心を一緒にすんなよ
 呆れた面持ちを乃神に向ける紅城の隣で、夢菜が軽く肩を竦めた。
星川夢菜
星川夢菜
なんにせよ、本当に神様がいるのなら、台風で中止になったくらいで怒ったりはしませんわ、きっと。仮にもこの学校の守り神と言われているわけですし
紅城
紅城
そうそう。日頃から花とか菓子とか供えてるやつらもいるみたいだし、そこまで心狭くもねーだろ、守り神も
柚木莉音
柚木莉音
……そうかなぁ……
星川夢菜
星川夢菜
そうですわ。第一、台風での中止は誰の責任でもありません
 それを聞いた乃神が、小さく笑う。
乃神
乃神
星川さんって、合理的だよね
星川夢菜
星川夢菜
当然です。私を振り回す見えないものは、時間だけで充分ですわ
 弁当の玉子焼きを頬張り、それを飲み込んでから、夢菜は莉音を指差した。
星川夢菜
星川夢菜
だから
 反射的に、莉音は背筋をぴんと伸ばす。
星川夢菜
星川夢菜
莉音も、そんな心配ばかりしていないで、もっと現実に目を向けなさいな。そんなふうだから、テストの点数が下がるんですのよ
柚木莉音
柚木莉音
ちっ、違うよ、あれは!
乃神
乃神
大丈夫だよ、柚木さん。そういう心配しなくても、テストの点数なんて下がるときは下がるから。紅城くんみたいに
紅城
紅城
おい! 勝手に俺の個人情報漏洩してんじゃねーよ!
星川夢菜
星川夢菜
紅城くんの成績がいいなんて、誰も期待していませんわ。どうせ体育以外は軒並み悲惨なのでしょう?
紅城
紅城
そこまで酷くはねぇよ!
柚木莉音
柚木莉音
大丈夫だよ紅城くん、私も似たようなものだから
紅城
紅城
だから、そこまで酷くねぇって言ってんだろ!
乃神
乃神
この前の小テスト、たしか紅城くん、自分の名前書き忘れてたよね
星川夢菜
星川夢菜
まぁ、とうとう自分の名前までわからなくなってしまいましたの?
柚木莉音
柚木莉音
私もたまに書き忘れそうになるよー
 怒りのためか、はたまたやり場のない感情をぶつけるためか、紅城は中身がなくなったジュースの紙パックを勢いよく乃神に向けて投げつける。
 しかし、紅城と親しい乃神はまるで彼の行動を予想していたかのごとく、笑いながら手で軽くそれを弾いた。

 弾かれた紙パックが、くるくると回りながら宙を舞う。
 どうでもいい話ではあるが、紅城は四人の中では一番の甘党で、いちごミルクを飲んでいるところを見る頻度は非常に高いのであった。

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