供える花と菓子の入った袋をそれぞれ持ちながら、莉音と紅城はひとりごちる。
スマホで地図を確認しつつ、乃神が紅城に釘を刺した。
三人がそんなやり取りをしたとき、莉音はすぐ近くで風鈴の音を聞いた気がした。
不思議に感じて耳を澄ますと、音の出所はどうやら寺のようである。
莉音は最初、風鈴が寺の軒にでも吊るされているのだろうかと思ったのだが、すぐにそうではないのだという事実に感付いた。
――これは、風鈴の音ではない。仏具の鈴の音だ。
氷室の自宅からの帰り道、莉音はこれに似た音を聞いている。自分以外の誰にも聞こえていなかったらしい、あの寂しげな音。
あれを莉音はなんの疑問もいだくことなく、風鈴の音だと当然のように信じていたのだが、そうではなかったのかもしれないと、この瞬間に思った。
あの音は――風鈴の音ではなく、仏具の鈴の音だったのではないだろうか。
そう考えると、急激に嫌な予感が込み上げてきた。体の内側から冷えたものが這い上がってくるような、言葉では説明できない不安感。
墓所への道を歩いている莉音達の右手には、木々が連なっている。街からやや外れたところにあるここは、乱立する樹木によって陽光が遮られ、全体的に薄暗い。
そんな木々の隙間に、莉音は異様なものを見た。
人影だ。
夏の制服を着た、見知らぬ少女。
そんな少女の無表情な両目と、視線が絡んだ。
青白い顔は、莉音を恐怖で総毛立たせるには充分すぎる薄気味悪さをまとっている。
声帯が引きつり、悲鳴らしい悲鳴も出なかった。思わず、隣を歩いていた乃神にぶつかってしまう。
紅城も少女の存在に気が付いたらしく、硬い声と顔で、少女を凝視する。さらにその隣で、夢菜も目を見張った。
乃神も少女を視認し、困惑に眉根を寄せる。
乃神の台詞を、夢菜の逼迫した声が遮った。
見ると、荷物を落とした紅城が両手で顔を覆って俯き、苦しげに呻いている。
顔を伏せている紅城を覗き込んで莉音は訊きかけたが、その言葉は緊張に高鳴った鼓動によってせき止められた。
手で顔を覆っている紅城の片目が、指の隙間から確認できた。その片目が莉音を認めて――にやりと気味悪く笑う。
紅城の表情ではない、と直感的に思った。では、紅城でなければいったい誰だというのか。
莉音の肌がぞっと粟立ったのと、紅城に突き飛ばされたのは、同時だった。
紅城は莉音の肩を乱暴に押すと顔を乃神と夢菜に向け、獣じみた妙な笑いを漏らす。そうして三人に背中を向けると、脇目も振らずに走り去ってしまった。
突然の出来事に三人は呆然として、その背を見送る。
急いで立ち上がった莉音は、先頭を走り始める乃神を追って地面を蹴った。
三人はあわてて紅城を追ったものの、彼の足は速い。身軽にフェンスを乗り越えては、障害物の数々を簡単に飛び越えていく。
乃神は紅城に追いつくのがやっとの様子で、莉音と夢菜に至っては距離を離される一方だった。
頭の中の地図をたどり、そうして現在走っている道の先にあるものに莉音は感付く。
今の紅城が自らの意志で走っているわけではないのは、先程の様子から明らかである。となると考えられるのは、当然ヒイラギさんの影響だろう。
莉音は声を張り上げた。先を走っている乃神が肩越しに振り返る。
頷いた乃神が、走る速度を上げた。
いくつか角を曲がり、紅城を追い続けていると、予想通り陸橋が見えてくる。紅城は、そこへ真っ直ぐ向かっていった。
今までに自殺した生徒達も、氷室も、こうして意思を剥奪され、操られ、自殺に追い込まれたのかもしれない。そう考えると、あまりの理不尽さに胸中で様々な感情が逆巻いた。
紅城が飛ぶように陸橋の階段を駆け上がり、乃神がそれに続く。ふたりの距離は、手を伸ばせば届きそうなほどに縮まっていた。
通路に到達した紅城が、手すりから身を乗り出す。が、乃神が後ろから紅城の腰にしがみつき、それを阻止した。
莉音と夢菜は、まだ陸橋にたどり着いてはいない。
訴える乃神を蹴り飛ばし、紅城が再び手すりから身を投げようとする。乃神が、今度はそんな相手の足を捕まえて止めた。
際どい場所で、ふたりが揉み合いになる。
そのとき、乃神と位置を入れ替えた紅城が相手を手すりに追い込み、そこで首を絞めつつ乃神を手すりから落とそうと動いた。
夢菜が、小さく悲鳴をあげる。
しかし、莉音の声は届かない。紅城は止まらない。
乃神の背が、手すりを乗り越える。そのまま紅城が乃神の首を離せば、乃神は間違いなく陸橋から落下してしまうだろう。
乃神が手を伸ばし、紅城の腕を強く掴む。首を絞められ、苦痛がないはずはないのに、それでも彼は紅城の本来の意思を取り戻そうと、懸命に声をあげた。
途切れ途切れの声に、紅城が反応する。それまでの偽物めいていた紅城の瞳に、理性的な光が宿った。その表情は、莉音も見慣れたものである。
彼が自分の意識を取り戻し、もとに戻ったのだと莉音は察した。安堵感に、莉音は思わず笑みをうかべる。
しかし、その笑みは直後に凍りついた。
意思を取り戻したのが災いしてか、紅城の手から力が抜ける。それは、そのまま乃神が落下する運命に繋がっていた。
陸橋から落ちる乃神が、スローモーションに見える。莉音は当然驚愕したが、しかし、誰よりも驚いていたのは他ならぬ紅城だったかもしれない。
紅城は、呆然と落ちていく乃神を見ていた。
莉音の視界のありとあらゆるものが動きを止め、音は遠のく。
そんな中、どこからか風鈴の清音が鮮やかに聞こえてきた。
透明感のある音は近く、そして長い。
どこか寂しげなそれが名残惜しげに尾を引き、徐々に音が細くなっていった瞬間――。
激しい音と共に、乃神がトラックに撥ねられた。
初めて聞く音だと、莉音は思った。
乃神の体が宙に高く投げられ、そうして鈍い音と共に地面へ落下する。
それきり、彼の肢体は動かなかった。
周囲から、甲高い悲鳴がほとばしる。
その場に足を止めた莉音と夢菜は、動くことはおろか、声を出すことさえ叶わなかった。
ただ、視線を奪われてしまったかのごとく、少しずつ血だまりを拡げていく乃神の体を、息も忘れて見ていた。
ふと莉音が陸橋の上に目をやると、そこでは紅城が呆然としている。それはたしかに彼本人で、紅城の体を操る他の誰かなどではなかった。
紅城がゆっくりと、無表情を莉音と夢菜のほうに向ける。次いで、今にも泣きそうな面持ちで、ぎこちなく笑った。
莉音が嫌な予感を覚えたのと同時に、紅城が陸橋の手すりに足を掛ける。
手すりに立つ彼を認めて、なにをしようとしているのかを莉音は察した。
言い終わるより早く、紅城が頭から道路に飛び降りた。
莉音と夢菜は、反射的に顔をそむける。
また――にぶい音がした。
周囲からあがる悲鳴が声量を増し、混乱は加速する。
おそるおそる顔を戻すと、動かなくなった紅城が道に横たわっていた。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。
登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。