第9話

走れメロス 9
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2020/05/28 08:27
フィロストラトス
ああ、メロス様。
うめくような声が、風と共に聞えた。
メロス
誰だ。
メロスは走りながら尋ねた。
フィロストラトス
フィロストラトスでございます。貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でございます。
その若い石工も、メロスの後について走りながら叫んだ。
フィロストラトス
もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。もう、あのかたをお助けになることは出来ません。
メロス
いや、まだ陽は沈まぬ。
フィロストラトス
ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!
メロス
いや、まだ陽は沈まぬ。
メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い。
フィロストラトス
やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。刑場に引き出されても、平気でいました。王様が、さんざんあの方をからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました。
メロス
それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス。
フィロストラトス
ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない。走るがいい。
 言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、メロスは走った。

 メロスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。間に合った。

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