すっかり腰が抜けた野々宮は、
椅子から転がり落ちた。
フランツと名乗った青年は
魅惑的な笑みをたたえて、
小さな唇を動かした。
フランツはずかずかと部屋の中を
歩き回って観察している。
野々宮は思わず机を叩いた。
フランツは野々宮につかつかと歩み寄り、その華奢な身体から想像できないほどの力で押し倒した。
フランツは白い手袋に包まれた
細い指で野々宮の首筋をなぞる。
不敵に笑うフランツの口の端に、
きらりと光るものを野々宮は
見つけた。
野々宮のタートルネックのセーターの
襟を引きちぎって、その首元に
フランツの刃が突き刺さる。
ぷつり、と皮膚の切れる音がした。
ようやく解放されたときは、野々宮は
朧気に天井を見つめることしか
できなかった。
けろっとした顔でフランツは言う。
舌舐めずりをして、唇に付いた
血液を舐めとってからかうようにフランツは
言った。
野々宮の首筋の、傷跡にフランツが
触れると、野々宮の意識は遠のいて
そのうちに眠ってしまった。
フランツによって開け放たれた窓
から明るい光が差し込む刻になり、
野々宮は目を覚ました。
時計の針は無情にも10時を指していた。
ベッドから這い出した瞬間、
ぐらりと身体が揺れた。
会社に電話をかけて、野々宮は
もう一度ベッドに倒れこんだ。
確かに、フランツは美しい。
男の野々宮が惚れ惚れするほどに。
さらさらの銀髪。片方のみでも、
妖しく強い光を放つ翡翠色の目。
よく見ると、瞳は紅く燃え盛っている。
白い肌に小さな唇。まるで人形そのものだ。
鏡を貸せ、というので洗面台に
連れて行った。
野々宮は軽くフランツにパンチを
入れたが、鏡に映る野々宮は
何もない空間に向かってパンチを
繰り出している怪しい人だった。
フランツはまたニヒルに笑うのであった。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!