バタン
ようやく1人きりになった空間で、あなたは頭を抱えた。
まさか。
まさか、タイムスリップしてしまうなんて。
悶えるように身体を揺すると、その拍子にカサリ、とポケットから乾いた音がした。
あなたが視線を落とすと、そこには小さく折り畳まれた紙が落ちていた。
そうだ。
これこそが、全てのはじまりだったのだ。
時は2時間前に遡るーーーーー
あなたは、くしゃりと芝生を踏みしめた。
都会の表通りからすぐ脇へ入ったところにある、広過ぎる空き地だった。
そこにはかつて、たくさんの人間の失踪事件と、豪華絢爛な家具がすっかり傷みそこら中に散らばっているだけの廃墟があったと聞いている。
なぜただの空き地でそんなことがわかるのか?
それは、あなたがその事情を知る人間だったからだ。
立派な花束を腕に抱え、ゆっくりと空き地の真ん中に進み出る。
コツリと靴の先に違和感を感じて見やると、古びた木製のプレートが手入れされず伸び放題の草の中に隠れていた。
"Eurydice"
かがみこみ、掠れたその字をなぞる。
先刻述べたように、あなたは国の機関に勤める人間であり、全く暇ではないのだが。
同居している寡黙な祖父が、ある日突然頼み事をしてきたのだ。
『とある場所へ行って、花を手向けてやってほしい』、と。
祖父は技術的に優れた職人だった。
一人で会社をやり、80いっぱいまで現役だった仕事人だ。
そんな祖父に、依頼や交流の手紙はよく届いた。
その中で、日記の切れ端のようなものがしばしば届くことがあった。
幼い俺だったので汚い紙が届いたくらいに思っていたのだろうが、祖父はその度に「ああ、あの人も居なくなってしまったか」としみじみ呟き、その様子だけはずっと記憶に残っていた。
大人になった今、頼み事をされた時、俺に渡されたのは、その切れ端をかき集めた不揃いなページの日記帳と、ある場所において開かれた賞金を得るための恐ろしいデスゲームの昔話だった。
正直、全くもって気乗りはしなかった。
わざわざ遠くの地へというのもあるが、失踪事件が多数起きたと噂される場所とあれば何かしら"気"が残っているかもしれなかったからだ。
俺の疑問に難なく祖父は答えた。
確かに、祖父は若い頃に英語に堪能であり、世界を飛び歩いたということは聞いている。
ある時からすっかり辞めてしまったということも知っていたが、てっきり飽きたものだとばかり思っていた。
そうではなく、旧友をなくしたことがきっかけだったとしたら。
ばっと手元から日記を落とす。
衝撃的過ぎる。
祖父はあなたが床に落とした日記帳をゆっくりと拾い上げた。
祖父は、日記帳の古びた表紙を懐かしむように撫でた。
祖父はあなたの背後にある襖を指さした。
あなたは指示された通りに、奥に眠っていた木箱を取り出す。
ふと、そこに彫られた文字が気になって見つめる。
"for Eurydice"
ガタン
そこにあったのは、30センチほどの高さを持った大きな砂時計だった。
持ち手の部分が美しく彫刻された見るからに精巧な砂時計は、揺らすとさらりと中の白い砂が片寄る。
長年放置していたようだが、今でも問題なく使えそうだ。
見た目こそ美しいが、これがあの禍根を残しているらしい場所への贈り物だとするならば、純粋な心で愛でられる気分ではない。
祖父の言う通り、とっとと引き渡してしまう方が良いだろう。
あなたは祖父の願いを聞き入れ、はるばる遠いあの場所の跡地までやって来たというわけだった。
飄々とやけに冷たい風が吹く中、あなたは持ってきた日記帳と砂時計を地面に置き、供えた花に手を合わせた。
ーー記憶も、いつかは廃れる。
受け継ぐものが居なければ、途絶えてしまう。
祖父の砂時計もそうだ。
流れゆく時代の中、どんどんと需要は減り、昔のものとなってしまった。
ゆっくりと目を閉じる。
ここで、どんな惨劇が起きたのかは、知らない。
でも、祖父の友人をはじめ、被害者全員に少しでも安らかに眠ってほしいと心から願った。
その時だった。
一瞬目を閉じただけなのに、ぐにゃりと視界が歪み、酷い目眩があなたを襲った。
さらに、倍以上の重力にあなたの身体は地面に押し付けられる。
膝と肘を地面につき、必死に堪える。
助けを求めて前方を見渡すが、もともと人通りの少ない閑散とした空き地だ。
誰かが居るはずもない。
ついに負けて、あなたは身体ごと重圧に委ね、地面に倒れ込んだ。
セピア色に染まるぐるぐるとした視界の中、徐々にではあるが、すっと身体が冷えていくのを感じる。
頭を支えながらゆっくりと上体を起こす。
しかし目に飛び込んできた景色に、あなたの身体は今度こそ凍り付いた。
まず時刻。
あなたは真昼間に花を手向けにきたはずだった。
しかしどうだろう、先程まで真上にあったはずの太陽は沈み、あたりは重たい静かさに包まれていた。
メインストリートから外れていた空き地ではあったが、周りにはしっかりとビルが立ち並び、車の通る音だってしていた。
だが、そんな音は聞こえてこないどころか、ビルらしい建物はどこにも見つからず、むしろ辺りは森に変わっていた。
ガサガサッ
森の方から唐突に聞こえてくる物音に体が震える。
今にもパニックに陥りそうな体が、頭が、脳が、警告している。
ーーーーー早く、逃げろと。
あなたは無我夢中で走った。
少しして、灯りが見えてきた。
訳も分からないまま、あなたは灯りへ向かって激走した。
朧げであるが、一人、人が出てきてくれたらしい。
あなたは藁にも縋る思いで駆け寄った。
その人に近づいたあたりで、あなたはピタ、と足をとめた。
人にしてはやけに大きいのだ。
暗闇の中、白目と黒目の区別のない艶やかな青色の瞳があなたを捉える。
今度こそ、あなたはパニックになった。
大男に匂いのするハンカチーフで口元を覆われ、優しく抱き寄せられる。
恐怖と混乱からくる身体の震えを掻き消すように、あなたは目の前の自分より一回り大きな男に縋り付いた。
大男に促され、あなたは大きく息を吐く。
背中をさする男の手は生きているにしては酷く冷たく感じたが、逆にあなたの頭を冷静にしていった。
少しだけ呼吸が定まってきたのを見計らい、大男ーーもとい、ジョゼフはあなたの背中に回していた両腕の片方を外した。
そして、幼子を慈しむようにあなたの顎を撫でる。
満月が顔を出して、その恩恵を惜しみなく地上へと降り注ぐ夜。
その輝きは、見たものを一生虜にする魔法をかけた。
あなたの整った顔立ちは、眩く誰よりも美しくジョゼフの中に収まった。
涼しげに吹く風になびく柔らかな髪。
不安に揺れ、潤んだ瞳。
気を抜けば吸い込まれてしまうような危うさを孕んでいた。
どうしようもなく、この一瞬を切り取ってしまいたい衝動に駆られる。
つい、あなたの口元に目がいってしまい、ジョゼフはふっと目を逸らした。
どうやら、目の前の彼の様子から自分は人外に認定されているらしかった。
あなたの目が大きく見開かれた。
そこであなたの視界はぷつりと途絶えた。
起きた時には、イライの腕に抱かれ、エミリーの診察を受けていたのだ。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。