地見先輩は、困ったように頭をかいた。
ギリギリエンジェルの声優と真剣に作品の話し合いができるのは、このメンバーの中では梨々花ちゃんだけだろう。
だけど。
目立つことが苦手だった。
人と話すのは嫌いだったはずなのに。
本物の声優と話ができる梨々花ちゃんに対して、心からそう思った。
そして胸の奥に、チリチリと嫉妬の炎が芽生えのを感じた。
自分が悩んで探し求めて、それでも見つけられなかったものを最初から無意識に持っている存在への憧れと、ほんの少しの畏怖。
この伝えようのない負の感情が、紅さんがあたしに抱いた感情なのだとしたら。あたしは彼女の行動をほんの少しだけ、許せるかもしれない。
千春ちゃんは元気に返事をすると、再び走り出した。
梨々花ちゃんは陸上部から勧誘がきそうなくらいの勢いで、体育館へと駆け出した。
目の前の廊下を見つめる。千春ちゃんと梨々花ちゃんが迷うことなく走り抜けた道。
舞台のある体育館へ向かう、唯一の道。
今すぐにでも駆け出して、舞台に向かわなくてはならないと分かっている。それでも、足取りは重く、二人のように走ることが出来ない。
地見先輩へ目を向ける。挑発にのったあたしの瞬間的な怒りは、目線の先にあった地見先輩の柔らかな表情に打ち砕かられた。
地見先輩が、目を細めて微笑む。と同時に、声を低くした。
中性的で均等のとれた顔は、女性のようでもあり、男性のようでもある。
地見先輩の憂いを帯びた表情は、夏目さんに似ている。
揺れる瞳も、震える声も。
地見先輩がふっと息をつく。
どこか、悲しげに。
どこか、儚げに。
地見先輩は弱々しく呟くと俯き、ため息をついた。
あたしがそう納得しかけたとき。地見先輩の唇が動いた。
『う、そ、や、け、ど』と。
あたしが言葉を失っていると、紅さんが決意を固めたように声高に宣言した。
その後、地見先輩が「楽勝で」と呟くのが聞こえたけれど。
あたしは聞こえないフリをした。
地見先輩のとびきりの笑顔に見送られ、あたしはようやく体育館に向かって走り出した。
地見先輩が紅さんに、どんなお仕置きをするのか。そのことは深く考えないようにしながら。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。